>中国の専門家が指摘する東アジアの共通の価値観 >Record China によるストーリー • 昨日 10:36 >1960~90年代に東アジアは目覚しい経済発展を遂げ、「東アジアの奇跡」とまでいわれ、世界の注目を集めた。 >この地域の経済発展パターンは一定の共通性があるため、経済について語る場合、「東アジアモデル」という言葉がよく使われた。 >だが、1997年のアジア通貨危機により、東アジアの「神話」は崩壊し、韓国などは不況に陥り、国際通貨基金(IMF)の支援を受けた。 >当時、一部識者から、東アジアは官僚や政治家、利益団体とのつながりが経済活動で重要な意味がある「縁故資本主義(クローニーキャピタリズム)」が問題で、「グローバルスタンダード」に合致した経済運営をすべきだという指摘がなされた。 >ただ、この見方は欧米の「新古典派経済学」に基づいた考え方であり、必ずしもアジア地域の実情を反映したものではなかった。
東アジアには哲学がないので、合力には縁故主義に頼ることになりますね。グローバルスタンダードは難しいですね。
>アジアが独自の経済発展をしてきたことは事実だ。
農耕民族は勤勉さがアジアの取柄ですね。
>中国の専門家「東アジアには儒家思想という共通点」 >17日付の中国新聞ネット(WeChat版)に「儒家経済圏が世界で注目されている理由」と題する記事が掲載された。 >記事は、日本の高度成長、韓国の「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展、中国やベトナムの経済発展を儒家経済圏の経済発展の成功例に挙げ、「儒家経済圏の絶え間ない『拡大』により、圏内の多くの経済体(エコノミー)の人口と経済規模は世界で重要な位置にある」と述べた。
現実での発展には限界があるでしようね。
>東アジア、特に日本、中国、韓国は地理的に近く、文化・習慣の面でも共通点があるため、経済交流にプラスとなるという話は、アジア独自の発展についての見方がよく出てきた90年代後半にも聞いたことがある。 >記事も、「儒家経済圏は儒家文化を基礎にしている」とし、「歴史的に中国の政治や中華文化の影響を受け、過去または現在、漢字を使用し、文語文を書き言葉として共に使っていた」と述べている。
中国は当時、東アジアの先進文化国でしたからね。周辺諸国は中国の属国となって文化の取入れに力を入れました。
>儒家経済圏の定義について、記事は「一般的には儒家文化が社会文明体系の中で主導的地位を占める、または重要な影響力を持つ経済体を指す。 >儒家経済圏には中国大陸、香港、マカオ、台湾地区、日本、韓国、ベトナム、シンガポールなど8つの経済体が含まれている」と述べている。 >ここで挙げられた国と地域は、いずれも目覚しい経済発展を遂げており、そのパターンも共通している点がある。 >周知のように、経済発展には労働、資本、技術、管理などの要素が重要だが、記事も指摘しているように、文化的要素も少なからず影響している。 >儒家経済圏が目覚しい経済発展を遂げた要因として、記事は以下の7つの点を挙げた。 >第一に、文化面で、「礼」「仁」を尊び、秩序を重んじるという点だ。 >儒教思想の基本的な理論的基礎である「性善論」が、「仁政」を行い、人間本位の人道的管理を行うための基礎だとしている。 >また、儒教の中心的倫理思想である「礼」は、「礼はルールであり、秩序であり、規則にのっとったすべての礼は統治の基礎を構成し、社会の安定と経済の発展を保障する」と述べている。
儒教思想は礼儀正しい日本人には適した教えですかね。 意思の無い人間には加害者意識というものが無い。罪の意識も無く、事故後の深い反省を試みることもない。だから過ちを繰り返す。供養・追悼式を繰り返すだけでは進歩がない。
>第二に、統治面で、「有効な市場」と「有為な政府」を提唱するという点だ。 >儒教経済圏の国と地域は、相対的に権力を集中させ、政府の役割を重視する発展パターンをとっている。
独裁をいとわない国も多いですね。
>このような市場経済モデルは、市場の「見えざる手」を利用して自らの経済活動を調整する一方で、政府は「見える手」で必要な時に適切な介入を行うというものだ。
現実は千変万化して止まる所を知らない。政治家に政治哲学がなければ見える手による介入で時流に流される。
>第三に、モデルの面で、「和而不同(人とは仲良くするが、むやみに同調しない)」を固く守り、多くの事柄を包容するという点だ。 >記事は「儒家経済圏は多文化を認め、文明の対話と文化の調和を主張し、寛容性・開放性・協議性を備えている」とし、さらに「圏内の国は一般的に対外開放政策を実施しており、その際立った利点は排他的ではなく、最高権威者を決めないことであり、外来の先進的な科学技術、文化のあり方、発展モデル、管理の経験に対する大きな包摂性を持っていることだ」と述べている。
政府は他国の受け売りと追従に忙しく立つ瀬がない。未来を切り開くためには個人主義を認める必要があることを認識できない。
>第四に、教育の面で、「師を尊び、教育を重んじる」ことを発揚し、「誰もが等しく教育を受けられる」ことを主張するという点だ。
誰もが等しく教育を受けるのは長くても初等・中等教育までですね。大人になる教育は個性的な創造力を与えなくてはならないでしょう。そうでなければ金太郎飴のような顔をした指示待ち人間ばかりが出来上がる。
>儒家経済圏の「奇跡」と呼ばれる経済発展は、教育の普及と質の高い労働力を抜きには語れない。
各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. アジア人にも教養が必要ですね。世界観をもつ人間が必要ですね。
>日本の高度成長は安くて質の高い労働力に支えられ、中国の経済発展も然りだ。
低賃金の祟りが日本の発展を阻止していますね。
>その要因として記事は、「圏内の経済体は孔子の『誰もが等しく教育を受けられる』の思想を普遍的に認め、教育の公平を図り、青年学生に相対的に平等な教育を受ける機会と条件を提供するよう尽力している」と述べている。
それは没個性の教育ですね。個人には発想の自由が必要ですね。実学 (技術) ばかりが教育ではない。教養人には哲学 (非現実の内容) が必要である。
>第五に、社会の面で、「穏やか・素直・恭しい・質素・謙遜」を提唱し、「家国同型(家族と国家が組織・構造の面で共同性を持つ)」だとしている点だ。 >この理念は経済の持続的で安定した発展の社会的基盤を築いた。
八紘一宇の精神のようなものですか。
>「家国同型」によって生み出された強力な組織力・動員力は、現代工業化の大生産における競争力に転化することができる。
西洋の哲学には家族が出てきませんね。東洋と西洋では、現実と非現実の違いがあるのでしょうね。
>第六に、政策決定者の面で、個人の修養を重視し、エリートが政治を主導することを尊重するという点だ。 >儒家経済圏の統治者は、儒教の「修養を積むことで、人々を楽しませる」、「其の身正しければ令せずして行はる。 >其の身正しからざれば、令すと雖も従はれず(人の上に立つ者の身が正しければ、命令しなくても意図したことは正しく行われる。 >人の上に立つ者の身が正しくなければ、命令しても国民は従わない)」の理念を重視しており、それは企業家の品格を改善すると記事は指摘する。
政策決定者の選定には民主的な投票が必要ですね。そうでなければ独裁になる。総選挙をやりましょう。
>また、儒教の理念は「義利合一」「士魂商才」を重視し、仁義、人格、教養、情誼などを行為の根底とし、「論語」と算盤を一体化させている。 >第七に、労働力の面で、「苦労に耐え、勤勉を尊ぶ」という点だ。
そうですね。’不自由を常と思えば不足なし’ ですね。 上位の教えがあって、自己の発想がない。それが不幸の始まりですね。 難民は生活苦に耐えられず自国を脱出する。行く先は国土の広い国でもなく、人口の多い国でもなく、資源の豊富な国でもなく、金持ちのいる国でもない。彼らの求める国は自由な国である。 ロシア、中国、インドは大国であるが難民が押し寄せる国ではない。そこに人間性に欠けた政治があるからでしょう。
>東アジアの人々には、果敢に重荷を負い、苦労に耐え、実務に励むという「民族の品格」があり、それは「現代の大工業生産に非常に適している」と記事は指摘する。
工員は社会の歯車の一員ですね。歯車ばかりでは個人の個性を伸ばす社会にはなりませんね。14億匹のアリの出現が恐ろしい。
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