>産経新聞 >「もう後戻りできない」百地章氏が憲法改正へ「2点突破」強調、緊急事態条項と自衛隊明記 5時間・ >憲法記念日を控えた27日、前橋市で「群馬憲法フォーラム」(主催・美しい日本の憲法をつくる群馬県民の会)が開催され、日本大学名誉教授の百地章氏が「憲法改正の実現に向けて」と題し講演した。 >緊急時の根拠規定なし >百地氏は緊急事態条項と自衛隊の明記の2点に絞って論じた。 >前者について百地氏は道路交通法を例に挙げて緊急時、緊急車両が信号を無視してよいと平時とは異なる規定があるにもかかわらず、憲法は平時のみで国家の緊急時に対応できていない点を指摘した。 >緊急時には政令などをつくって対応してきたが、憲法に根拠規定がないために官庁が対処できない事態が現実に生じたとして、東日本大震災の巨大津波による大量のガレキ処分の際、財産権の不可侵を規定した憲法29条が立ちふさがり、家具などのガレキを自治体などが緊急処理できなかった事例を挙げた。
現実の世界は千変万化する。だから、緊急処理を妨げる現憲法には欠陥がありますね。
>「国家レベルでは緊急時の規定が抜け落ちた、まことに不思議な国になっている」と指摘した。 >自衛隊明記だけでも大きな効果 >百地氏は、自衛隊について実態は軍隊でありながら「戦力不保持」を定めた憲法9条2項の下では法制度上、軍隊ではなく警察組織になると指摘。 >その結果、「軍隊の権限」とされる「ネガティブ・リスト」方式(捕虜虐待禁止など国際法などで禁じたこと以外の権限行使は原則自由)ではなく、「警察の権限」である「ポジティブ・リスト」方式(法で規定したことしかできない)を強いられていると指摘した。 >ただ、9条2項の改正は極めてハードルが高く、次善の策として、故安倍晋三元首相が「自衛隊保持の明記」を提起したとした。 >明記の意義として、①自衛隊違憲論を解消できる②自衛隊の法的安定性を高める-の2点を挙げたうえで、自衛隊員の社会的地位や待遇の改善、「自分の国は自分で守る」との国民の決意表明は「対外的な抑止力になる」とした。
そうですね。
>さらに、国民投票まで進めば、「2カ月以上に及ぶ運動期間を通じ、国民の国防意識や国家意識が必ず高まり、これ自体が活力を生む」と効果を強調した。 >国民共同体としての国家観を >百地氏は改憲への国会発議を改めて求め令和5年11月以降、与野党幹部に陳情を続けた経緯を説明。 >岸田文雄前首相にも再三要請し昨年9月、ようやく「改憲の論点整理」として、自衛隊明記と緊急事態条項について盛り込むことをまとめた。 >「これはもう後戻りはできない。 >石破茂首相も引き継ぎ、やらざるを得ない状況だ」と指摘した。 >これに先立つ冒頭挨拶で美しい日本の憲法をつくる群馬県民の会代表で、憲法審査会参院会長の中曽根弘文参院議員は、国会での審議が進まない現状を陳謝。 >衆参両院の3分の2以上の賛成で初めて国民投票に至るが、改正案自体を国会がまとめられない状況を「まことに申し訳なく思っている」とした。 >百地氏は現憲法の問題点として、個人を絶対視して「国家観、家族観が見えてこない」点を指摘。
日本人の生活は同調圧力と滅私奉公ばかりですね。
>特に国家=権力体としての政府」とのみとらえ、国民共同体としての国家の視点が「抜け落ちている」。
日本人には意思がないから権力と上意下達でやるしかない。
>憲法には不可欠な日本の国柄も入れ込んだ憲法へと改めるよう強く求めた。
無哲学・能天気の方向へと進むわけですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。 「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。各々の政治家は日本の国際化に鑑みて日本語の表記法に深い関心を持つべきである。
海外の大学院で、「みんな紙のノートに書かない、タブレットに書いています」という話を聞くと、アナログ派は絶滅危惧種でしょうね。我が民族全体が絶滅種になる前に早く手を打たなくてはならない。 学生が紙のノートを使わずタブレットだけを学校で使用するとなると仮名漢字変換を使わない‘英数字の入力法’ が断然強みを発揮しますね。漢字の練習には役立たないが、英語 (の綴り) には強くなります。従って英語に親しみが湧くようになります。我々の日本語の記述方式の選び方は日本人の未来の能力に決定的な影響を与えるでしょうね。
日本人の生活は、生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で行う。葬儀は葬式仏式で済ませばよい。これで万事万々歳である。 日本の文化には形式 (儀式) があって、内容 (教義) が無い。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。 内容を考えなければ、矛盾ということも何もない。 だから、思考を停止している人には折角のリーズン (理性・理由・適当) にも価値がない。 日本人は内容が無いだけ、それだけ余計に形式 (現実) に拘る。それで改革運動の妨げになることが多い。日本人は守旧派の人達である。我々はこのことを忘れてはならない。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
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