女人禁制 |
>テレ朝NEWS >高市総理は土俵に上がる? 英紙「ジレンマに直面」と注視 女性の権利にも言及 >テレ朝NEWSによるストーリー・ >14時間 >古くから“女人禁制”とされてきた大相撲の土俵に高市総理大臣は上がるのか。 >イギリス紙は「新首相はジレンマに直面している」と報じています。 > イギリスのガーディアン紙の電子版は12日、大相撲において女性が土俵に上がることは禁止されているとする伝統を紹介し、「高市氏は“女人禁制”に逆らうのか?」と題した記事を掲載しました。
高市氏は“女人禁制”に逆らうでしょうね。
> 歴代の首相が大相撲の千秋楽で土俵に上がり、優勝力士にトロフィーを手渡していることに触れ、女性として初めて首相に就任した高市総理の対応を注視しています。 > 記事では「新首相はジレンマに直面している」と指摘しつつ、高市氏が土俵に上がる意味合いについて「女性の権利運動家らにとって象徴的な勝利となる」と報じています。
そうですね。高市氏が土俵に上がれば政治哲学の勝利ですね。
> 一方、木原官房長官は11日、政府としての対応を問われた際に「高市総理は伝統文化を大切にしたいという意向を持っている」と述べ、総理自身が土俵には上がらない可能性を示唆しています。
日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、あらかたの国民は現実肯定主義になっていて岩盤保守層を形成している。 伝統文化は現実の中にある。女性の権利は非現実の中にある。もしも首相が真の政治家であるならば、政治哲学の方を採るでしょうね。高市首相が大相撲の千秋楽で土俵に上がり、優勝力士にトロフィーを手渡すでしょう。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ実行すべき知性の保証です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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