2025年11月17日(月) 


>ダイヤモンド・オンライン   >クマが「侵入したくなる建物」の特徴とは? クマの「意外な性質」と関係【専門家が指摘】   >稲葉美映子の意見・   >16時間・   
>2025年、日本各地でクマによる被害が深刻化している。   
>すでに死者は13人に上り、被害件数・死亡者数ともに過去最悪のペースだ。   
>住宅地や市街地への出没が相次ぎ、自宅内や露天風呂で襲われる事例も発生。    
>「今年のクマは異常だ」と専門家も警鐘を鳴らす。   
>なぜクマは建物に侵入してくるのか、その意外な生態に迫る。   
>(風来堂 稲葉美映子)    
>「今年のクマは異常」 自宅内や露天風呂でもクマに襲われる   
> 東北地方はもともとクマの生息地が広く、とくに岩手県は古くから出没件数が多い地域として知られてきた。   
>特に岩手県北上市では、自宅内や露天風呂、山中などで人が襲われ、3人が死亡している。   
>なかには、遺体の損傷が激しく、頭部と胴体が離れていたケースもあった。    
>「今年のクマは異常。   
>今までとは考えられないような“一線を越えた”クマが増えている」   

それは突然変異ですかね。   

> そう話すのは、岩手大学農学部でクマを研究する山内貴義准教授だ。    
>いま、何がクマを“凶暴化”させているのだろうか。    
>「里に下りれば食べ物が得られる」成功体験が子グマに受け継がれる   
> 山内准教授によると、ツキノワグマの個体数そのものは一様に増えているわけではないという。    
>にもかかわらず、出没件数や人身被害が増加しているのは「人慣れ」が進んでいるからだと話す。    
>「クマは本来、非常に警戒心が強く人を避ける動物です。   
>しかし近年では里に出る期間が長くなり、人間社会を“危険ではない場所”と認識している個体が増えています」    
> その背景の一つには、山に十分な餌がないことがある。   
>ブナなどの木の実のなりが悪い年は、クマは山に留まることができず、人里へ下りてくる。   
>そして、農作物をはじめ生ごみや米、ペットフードなどを見つけて食べるうちに、「人間のそばには食料がある」と学習してしまうというのだ。    
>「一度、『里に下りれば食べ物が得られる』と覚えたクマは、翌年以降も迷わず同じ場所に現れます。    
>こうした成功体験が子に受け継がれていくんです」    
>(山内准教授)   
>2023年のブナ大凶作のときに人里に下りてきた小グマが成獣に   
> 2025年の秋は東北のブナが大凶作だが、2年前の2023年の秋もそうだった。   
>2023年度、死者数6、人身被害件数198、被害人数219と、クマ被害は過去最悪を記録した(死者数は2025年度更新)。   
>翌年の2024年の秋は豊作で、クマ被害自体は比較的少なかったが――。    
>「実は、2024年の春先には、多くのクマが里に下りてきていました。   
>前年の大凶作で『里に餌が得られる』と学んだからでしょう」    
> その中には母グマに連れられてきた子グマも当然いた。   
>そして子グマは2年で成獣となる。   
>そこにまた、大凶作――。   

それは十分に予見可能な人身被害でしたね。対処不十分ということですかね。      

>「独り立ちした子グマが、再び里に現れた可能性が高いですね」と山内准教授は続ける。    
>こうして、生まれたときから里に下りることを避けない「アーバンベア」の常態化は、人との接触の機会をいや応なしに増やしてしまう。    
>里に出てくるクマが凶暴化しやすい理由   
> そして、アーバンベアは山にいるときよりも、凶暴化しやすいのだという。    
>「里に出てくるクマの多くは、若い個体か、あるいは親子連れが多いです。    
>こうした個体は興奮状態になりやすく、ちょっとしたきっかけで大惨事につながるおそれがあります」    
> 山内准教授はそう指摘する。   
>美味しい餌があるとはいえ、元来臆病で警戒心の強いクマにとって人里は、常にストレスのかかる環境だ。   
>突然の人との遭遇や、車の音などの刺激に驚き、暴走してしまうケースが少なくない。   

クマにはストレスのない環境で暮らすようにさせたいですね。日本をクマの天国にしたいですね。
クマ天国の建設は人間の責任ですね。クマは責任を取ることができませんから。      

>クマは驚くと身を隠そうとして暗がりに逃げ込もうとする   
>「今年の9月13日の午前6時35分頃に、福島県南会津町の高齢者介護施設で、クマが窓ガラスを割って侵入するという事例がありました。   
>クマは驚くと身を隠そうとする性質があり、木や草むらがない市街地では、建物の中や暗がりに逃げ込もうとします。   
>おそらく人や車など何かに驚いてパニックになり建物の中に逃げこもうとして、透明なガラスがあるとわからず突っ込んだのではないかと思います」   
>(山内准教授)
> こうした行動は、「攻撃」というよりは「恐怖による混乱」に近い。   
>10月30日に岩手県雫石町の公民館でもクマが自動ドアに突っ込んだが、公民館が開く前の午前6時25分頃だったため、建物内は暗い状態だった。    
>暗がりに逃げこうもとしたのだろう。   
>「クマで一番怖いのは、興奮させたり、パニック状態にしてしまうことです。   
>そうなると、視界に入る人を次々と襲い始めることがある」   
>(山内准教授)   
> とくに秋から冬眠前にかけては、食料を求めて神経が過敏になっている時期。    
>空腹でイライラしているクマは、わずかな刺激でも暴走しかねない。   
>「市街地でクマと遭遇した場合、クマとの間に自転車や建物といった障害物を間に置いて、直接突進されるのを避けることが重要です。    
>安全を確保するため、近くに建物や車があれば素早く避難したほうがいい」という。    
>子連れの母グマは無条件で襲ってくる    
> さらに、子連れの母グマは別格だ。    
>「子グマが近くにいると、母グマは子を守るために相手をほぼ無条件で敵とみなします。    
>人が攻撃するつもりがなくても、少しの物音や動きに過剰反応してしまうんです」    
>(山内准教授)   
> 最近も、岩手県北上市では草刈り作業に向かっていた男性が、親子グマに遭遇して左足をかまれる事故が起き、現場近くで母グマとみられる個体と子グマの計2頭が駆除されている。    
> また、山菜採りを生業とする佐藤誠志さん(岩手県岩泉町)が山中で親子グマと鉢合わせた際、「子グマが木に登った。その時点で母グマが追いかけてきた」と語っており、木登りした子グマの傍らから離れようとしない母グマの攻撃性が浮き彫りになっている。    
> 2025年10月22日、宮城県仙台市青葉区では、子グマ2頭がかかってしまった箱罠のそばから母グマが離れようとせず、最終的に親子3頭が駆除された。    
>人に見つかり囲まれた絶体絶命の状態でも子を捨てて逃げようとしない。    
>母グマの性質を象徴するような事例だった。    
> 空腹、恐怖、ストレス、そして子を守ろうとする本能。    
>こうした条件が揃ったとき、クマは冷静さを失い、凶暴化する――それが、いま各地で起きている“人を襲うクマ”の正体だ。    

そうですね。   

>クマの行動は予測不能 個体差が極めて大きい   
> 山内准教授は、「クマは、知能・学習能力ともに高い動物」とし、他の野生生物に比べても個体差が極めて大きく、「セオリー」が通じないという。    
>「GPS首輪をつけて追跡しても、シカやイノシシのように同じ行動パターンを取らない。   
>100頭いれば100通りの動きをするんです。    
>それほど性格も行動もバラエティー豊か。   
>クマを研究していて一番難しいのは、こうした“予測不能さ”なんですよね」   
>(山内准教授)    
> 捕獲時に恐怖で震える個体もいれば、ドラム缶の中で突進して暴れる個体もいるという。   
>しかし、どんな個体であっても、極度の緊張や恐怖にさらされれば、反射的に攻撃に転じる可能性が十分にある。   
>臆病さと凶暴さは、紙一重のところに共存している。   
>それがクマの本質であり、人間の側が忘れてはならない事実である。   

緊急事態に対処するのは当然なことである。誰でもやることである。  
ことが終われば何も無いのか。次の回に備えなくてはならない。それができるかできないかで、我々の生活は大きく変わってくる。   
一寸先が闇であっては、適切な対処は考えられない。日本語の文法のように未来時制の構文が無ければ適切な対処の内容は文にならない。だから、考えとして存在しない。かくして人間はその日暮らしの生活となる。   

‘三匹の子豚’ の話
一番目の子豚は藁の家を作った。オオカミが藁の家を吹き飛ばしその子豚を食べてしまった。   
二番目の子豚は木の枝の家を作った。二番目の子豚も一番目の子豚と同様な運命をたどった。
三番目の子豚はレンガの家を作った。オオカミがレンガの家を吹き飛ばすことができなかったので、煙突から侵入しようとしたが子豚が用意した熱湯の鍋の中に飛び込んでしまった。そこで子豚は釜茹でになったオオカミを食べた。    

日本人は一番目の子豚に似ていますね。いつも応急処置で済ませて、その場しのぎをしている。簡単に済ませて理屈にこだわりを見せない。だからあらかじめ危険を予測して対処することができない。常に新事実が存在する。浅はかである。      

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        
英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ実行すべき知性の保証です。   
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)

 


閲覧数32 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/11/17 06:53
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