2026年01月07日(水) 

 

>憲法9条「カルト信仰」の終焉 ~ ベネズエラ情勢が示唆する空想的平和論の虚構 NEW!   

>2026/01/06(Tue) 07:09 史観100   

> 米国によるベネズエラのマドゥロ拘束事案は、国際法と安全保障の現実を直視する上で、我々に極めて重要な示唆を与えている。   

>今回の米国の行動を国連憲章2条4項(武力行使の禁止)違反だと断じる声が大きいが、その法的解釈はひと筋縄ではいかない。   

> そもそも国連憲章の武力行使禁止原則は、主体と相手方の双方が「国家」として成立していることを前提とする。   

>しかし米国政府は、マドゥロを正統な国家元首とは承認せず、米司法省が起訴した麻薬テロ組織の中心人物、すなわち「いち被疑者」として位置づけている。   

>この論理に立てば、米国側は今回の作戦を国家間紛争ではなく、あくまで「法執行活動を支援する軍事行動」と位置づけ、憲章の適用外であるとの主張が可能になる。   

> この論理を台湾有事に当てはめると、極めて危うい構図が浮かび上がる。   

>米国が現状に介入し、中国の影響力に後退を迫る実力を示すことは、台湾侵攻に対する強力な抑止力として機能する。   

>しかし一方で、中国側がこの論理を逆手に取る懸念も拭えない。    

>中国は台湾を国家として認めておらず、マドゥロ拘束と同様の構図を主張し、侵攻を「国内の法執行」として正当化する詭弁を用いかねないからだ。   

>日本はこうした論理的挑発に対抗できる、強固な理論武装を急がねばならない。   

 

そうですね。   

 

> だが、こうした緊迫した国際情勢を前にして、国内では驚くほど空想的な「平和論」がいまだに跋扈している。   

 

そうですね。空想・妄想は日本人の得意芸ですからね。   

 

>これはYahoo!知恵袋における問答のひとつだ。   

>Q ベネズエラに憲法9条が無いことがアメリカの攻撃を受けた理由の一つか?   

>A 逆だ。アメリカ側に憲法9条たるものが無いから、ベネズエラは攻撃されたのだ。   

>Q では、日本が憲法9条を持つのは他国に攻撃しないためであって、自国に対する攻撃については別問題ということか?   

>A 憲法9条は言わば「戦争の放棄」だから。   

>Q では9条があるから攻撃されないという言説は間違っているということか?   

 

軍事を避けていても、戦争を避けることはできない。(山田良市・元航空幕僚長)  

 

>A 間違っているかどうかは、相手の解釈次第だ。   

 

そうですね。自主性のない自己表現ですね。相手の解釈が勝手に入り込むようでは、完全な自己主張はできませんね。           

 

> 憲法9条信仰もここまでくると病気だ。   

>問いに対する答えが全く成立しておらず、逆に9条では国は護れないと認めているようなものである。   

 

そうですね。   

日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。

 

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。‘以心伝心・阿吽の呼吸・つうかあの仲’といったところか。     

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

>9条カルトの闇の深さは、SNSで嘲笑されているこの投稿にも表れる。   

> 現実の脅威を無視し、憲法9条という特定の条文に万能の力を認めるアプローチは、合理的な思考を放棄した「信仰」そのものである。   

 

そうですね。信仰は強いか、敗戦か。

軍事を避けていても、戦争 [現実] を避けることはできない。(山田良市・元航空幕僚長)     

 

>一般人ならまだよい。深刻なのは、公党の国会議員までもがこのカルト的信仰の布教活動をやっている点だ。    

 

軍事の中身は知らなくても、国の安全保障の意義を知らなくては、世界の笑いものにされますよ。(山田良市・元航空幕僚長)  

 

> いまだにアベガーをやっている小西だが、この投稿への当たり前のリアクションとして、ネット上では「中国や北朝鮮、ロシアをどうやって説得し、導入させるのか」という当然の疑問が噴出している。   

>小西の主張には、「世界の国々」にどうやって「憲法9条を導入」させるかという方法論が全くないのだ。   

>理想論以外のなにものでもなく、実現不可能なことで平和を願うだけの、やはり「信仰」というべきものなのだ。   

 

空念仏と、犬の遠い吠えはわが国の年中行事ですからね。   

 

> 戦後日本の平和を守ってきたのは、自衛隊と日米同盟による現実的な抑止力だ。   

 

そうですね。我々には現実的な平和が必要ですからね。   

 

>もし9条に平和を維持する力があるというなら、中国が尖閣諸島を脅かし続け、韓国が竹島を不法占拠し続けているという事実を説明できない。    

 

そうですね。  

 

>現実に目を背け、実現不可能な理想論に逃げ込む「9条平和論」は、方法論として完全に破綻している。

 

そうですね。   

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。   

日本語文法には時制 (tense) というものがないので、非現実 (過去・現在・未来) の内容を文にすることができない。だから考えというものが成り立たない。   

そこを無理して文に表現しようとすると、その結果は ‘考え・哲学’ にはならずして、空想・妄想になる。おかげさまで我が国は、漫画・アニメの大国になった。下位の文化は現実には役立たない。   

 

>我々が今なすべきは、こういったカルト的な信仰にすがることではなく、冷徹な国際情勢の分析に基づいた安保方法論を導き出し、それを国家に実装すること以外にない。   

 

そうですね。安保方法論には真の文化が必要ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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