杉浦由美子氏 |
>マネーポストWEB >いつのまにか「全国優等生大会」になった東京大学の推薦入試、なぜ当初の狙いの”ユニークな学生”を採らなくなったのか? 「70年ぶりの新学部」の推薦入試にも注目が集まる >マネーポストWEBによるストーリー・ >7時間・ > 東京大学が2027年9月に新学部「カレッジ・オブ・デザイン」を創設することが話題となっている。 >文理融合型の5年間一貫のカリキュラムで、全授業英語でおこなわれるのが特徴だ。
ようやく英米並みになりましたね。
>この新学部の入試は推薦入試(総合型選抜)であることが特徴だが、2016年に開始した学校推薦型選抜入試と比較すると、どのような傾向が見えてくるだろうか。 >が話題のノンフィクションライター・杉浦由美子氏がレポートする。【全3回の第3回。】 > * * * > 東京大学が2027年9月に創設する新学部「カレッジ・オブ・デザイン」が話題になっている。 >文理融合型の5年間一貫のカリキュラムで、東大が70年ぶりに作る新学部だ。 >授業はオールイングリッシュで行う。 >注目されるのはその入試形態で、総合型選抜のみで行う。 > 1つ目の方式であるRoute A(仮称)は国内の高校生向けのもので、まず共通テストで5教科8科目もしくは6教科7科目を課す。 >もう一方のRoute B(仮称)は東大が指定する統一試験を受験する。 >たとえば、国際バカロレア(IB)、国際Aレベル、SAT、ACTなどだ。 >国際的な共通学力テストである。 >両方とも、高校の調査書または成績証明書、評価書と英語のエッセイ、英語資格試験のスコア、英語による面接などが課される。 >アメリカの最難関大学の入試に近いようにみえる。 > アメリカの最難関校入試は、一般的に高校の成績と共通学力テストのスコアSATで合否が決まる。 > このアメリカの最難関大学の入試を調べていて私は東大の推薦入試に似ているなと思った。 >東大の推薦入試は学校推薦型選抜で「成績優秀なこと」を求め、出願する学生は「オール5」かそれに近い評定平均値である。 >それに組み合わせて共通テストのスコアを見るからだ。 >「数学オリンピックのメダルがないと受からない」は本当か > さて、東大の推薦に関しては「アカデミックな成果がないと合格しない」「数学オリンピックや物理オリンピックでメダルがないと合格しない」という印象を持っている人もいるかもしれないが、実際には違う。 > 東大の推薦において、探究学習の成果は出願の要件であるが、オーソドックスな高校生らしい探究学習の成果で十分に通るのだ。 >その代わり、学力の担保は求められる。 > ある地方の女子高校生は探究学習で大きな賞をとり、評定平均値はオール5に近く、共通テストも8割以上取ったが、東大の推薦には不合格となった。 > 理由は、その高校が地域の最難関高校ではなかったからだと考えられる。 >地方の場合、最難関高校以外は入試で定員割れをしているケースも多い。 >彼女の高校でその評定では学力の担保ができないと判断されたのではないか。 > 一方で共通テストの点数が微妙な中堅高校の生徒でも、アカデミックな視点で評価できる論文を書いて提出すれば、合格するケースもある。 >それは探究学習のコンクールで評価される「高校生らしい優等生的な論文」とは全く違うレベルのものだ。 > しかし、そんな論文を書く高校生は滅多にいないし、いたとしても評定平均値が高くなければ推薦入試には出願できない。 >つまり、推薦入試であってもシビアに基礎的な学力を見られていると考えてよい。 >「探究学習で成果を出す生徒」の評定平均がよいとは限らない > 高校の先生たちがよく口にする悩みは「探究学習の成果を出す生徒は評定が高くない」ということだ。 >これはさまざまな難易度の高校で共通することのようだ。 > ある難関高校の生徒は、高校在学中に世界的ともいえるレベルの論文を書いた。 >海外トップ大学から「素晴らしい」と評価されたという。 >それならそのトップ大学に進学できてもよさそうだが、欧米のトップ大学に進学するためには高校の成績が重視される。 >その生徒は評定平均値が高くなかったために、海外トップ大学も東大の推薦も出願できなかったのだ。 > これと同じような話は全国の高校で実に多く聞く。 >「なにかをやるということは、なにかをやらない」ということなのかもしれない。 >高校生が世界的なレベルの論文を書くとなれば学校の勉強はある程度放棄しているかもしれず、そうであれば評定は下がっていく。 > 東大の学校推薦型の出願要件の「成績優秀」であり、一定の難易度の高校でその評定平均値があって、アカデミックな成果を出せる高校生は全国を探してもそうそういないのだ。 >当初は「ユニークな学生」が合格していた推薦入試 > 東大の推薦入試も初期の頃は、アカデミックな実績がなくても「ユニークな学生」をとっていたはずだ。 >そのため、中堅高校からの合格者も目立った。 > 東大の推薦が開始した当初、東大のある教授が「教養があって文化資本が高い生徒が欲しいんだ」とSNSに投稿していた。 >小学校から塾で受験ノウハウを詰め込まれてきただけの学生ではなく、本を読み教養を蓄えてきた学生がほしいという意図だったのだろう。 > そうした考えのもとなのか、中堅高校出身でもユニークなバックボーンを持つ学生や個性を感じさせる学生が合格していた。 >しかし、文化資本が高いように見えたユニークな学生が、入学後、成績が芳しくなかったのかもしれない。 >そうなると、結局、学力を重視して選抜する必要がある。 > 東大推薦は「全国優等生大会」と教育関係者の間で呼ばれている。 >各都道府県の最難関高校でオール5に近い評定平均値を持ち、共通テストで高いスコアをとる学生は「学力が十分にあり真面目」であろう。 >進路指導の先生が自信をもって推薦してくる優等生は、大学で真面目に勉強し、きちんと就職をしていくだろう。 > そして、この「推薦入試での学力重視」という傾向は東大だけではない。 >多くの難関大学や中堅大学でもこの傾向は強まっている。 >ようは「尖った学生をとろう」とすると、「尖ったふりが上手い学生」を入学させてしまうことになってしまうからだ。 >彼らは入学後のパフォーマンスが振るわないのだろう。 > この既存の東大の学校推薦型選抜が「全国優等生大会」になっていったように、新学部のカレッジ・オブ・デザインの入試もゆくゆくはそうなっていくのかどうか──。 >動向を注目したい。 > ※参考 ダイヤモンド教育ラボ 『70年ぶりの東大新学部は推薦入試のみ! 大学の「平均的な学生を求めていない」発言は実現するか?』(2025年12月3日配信) >【プロフィール】 >杉浦由美子(すぎうら・ゆみこ)/ノンフィクションライター。 >2005年から取材と執筆活動を開始。 >『女子校力』(PHP新書)がロングセラーに。 >『中学受験 やってはいけない塾選び』『大学受験 活動実績はゼロでいい 推薦入試の合格法』(ともに青春出版社)も話題に。 >『ハナソネ』(毎日新聞社)、『ダイヤモンド教育ラボ』(ダイヤモンド社)、『東洋経済education×ICT』などで連載をしている。 >受験の「本当のこと」を伝えるべくnote()のエントリーも更新中。
他人の受け売りをするのが子供の勉強で、自己の見解を明らかにするのが大人の勉強である。 日本の大学は入学が難しく、卒業が楽である。英米系の大学は、その逆である。 日本の大学は子供の学習成果を基にして選抜試験を行う。英米系の大学は大人の学習成果を基にして卒業を認定する。学士、修士、博士の学位が得られる。博士号のない人は学者と認められない。 日本で子供が激しく勉強し、大切な大人の勉強がだらけているという現実は理に合わない。これは亡国の兆しである。 学問の内容は国際的なものですね。だから教育も国際的なものでなくてはならない。そうでなければ教育は、学問に名を借りた序列争いの道具になる。 人間の教育を語るときには世界を視野に入れた方がよいですね。井の中の蛙を育てるのは良くないですからね。わが国のせっかくの開国の努力に逆行しますからね。 高等教育の程度は、’THE世界大学ランキング’‘世界大学学術ランキング’‘QS 世界大学ランキング’を参考にすると良いですね。[QS: Quacquarelli Symonds]
このような教育格差の状態で日本が英米と戦争をしたら、子供対大人の戦いになりますね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。 私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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