博士が減る |
>東洋経済オンライン >ノーベル賞学者が警告「日本の博士が減る」真因 >本庶佑の意見・ >3か月・ >日本国内で大学院の博士課程を修了した人の人数が減少傾向をたどっている。 >問題の本質はどこにあるのか。 >2018年にノーベル生理学・医学賞を共同受賞した、本庶佑・京都大学高等研究院特別教授からの特別寄稿をお届けする。 >大学院博士課程修了者がだんだん減少しているという問題について、私なりの考察を述べたい。 >大学院博士課程は、2年の修士課程の後、3年間の教育を経て、論文審査を合格したものに与えられる資格である。 >この博士課程の入学者にとって、あるいは入学を考慮する者にとって何が重要かといえば、それだけの年月と経済的負担を負って得た博士号という資格による将来的な期待できる利益、あるいは期待される社会的に有利な結果などが「インセンティブ」になると思われる。 >大学院教育の修士課程では、より幅広い知識の獲得に主眼が置かれる。 >博士課程では、その分野の深い知識と、研究ができるような新規開発の力を生み出すことが求められる。 >博士課程の修了生は、その分野の深い知識のみならず、その分野の問題点を掘り出し、それをいかにして解決するかという方法論を身につけることを要求される。 >したがって、そのような能力を欠いた大学院修了生を世に送り出している大学が多いとすれば、大学側は研究科として十分に反省し、社会の期待に応えねばならない。 >博士課程修了者を減少させている2つの要因 >しかし、現状を見渡すと、大学院博士課程修了者がだんだんと減少しているという深刻な問題がある。 >現在の日本においては、冒頭で述べた博士号取得のインセンティブが決定的に欠けていると言わざるをえない。
そうですね。しかしそれだけでもなさそうですね。
>第1の要因は、経済的負担に対する支援の乏しさである。 >最低3年間におよぶ学費を誰が保証するのか。 >現状の奨学金制度は十分とはいえない。 >私の知る限り、ヨーロッパでは博士課程の学費はほぼ無料である。 >アメリカにおいても、大学がまとめて奨学金を獲得し、入学試験合格者に対しては学費をとっていない。
そうですね。日本人の学問に関する価値観の問題がありますね。
>これに対し、日本では生活費はもとより、国立大学で年間約80万円から100万円程度の授業料が必要となる。 >一人暮らしの生活費を含めれば、年間で最低200万円が必要となる。 >これらをローン(貸与型奨学金)で補えば、将来負うべき経済的負担は相当なものとなる。 >若者にとって、これはあまりに大きなリスクである。 >第2の要因は、博士号の取得がどのような「効用」をもたらすかという点である。 >就職に有利になる、あるいは将来的に重要な地位が得られるといった即物的なインセンティブが本来は必要だが、残念ながら日本の企業において、博士課程修了者を十分に活用する仕組みは整っていない。
そうですね。日本の国には個人主義がない。企業は個人の力を求めていない。
>むしろ、企業側が博士課程修了者を敬遠する風潮すらある。 >企業側の言い分としては、「修士課程修了者は柔軟性が高く扱いやすい一方、博士課程修了者は専門分野に凝り固まっていて応用力に欠ける」という見方が存在し、その結果、博士人材の採用を控える傾向があるのだ。 >国と企業に求められる行動変容 >さらに、2008年のリーマンショック以降、多くの日本企業は社内の研究所を縮小、あるいは解体してきた。 >この方針は、経済産業省が推進した「オープンイノベーション」という政策のもとで進められた。 >だが、その実態は、自前で新たなシーズを創出することを放棄し、つねにアメリカなど諸外国による技術の「二番煎じ」ばかりを追求するものだったと言わざるをえない。
そうですね。日本人の教育は他人の受け売りですからね。正解を暗記することにより受験の王者になれる。
>その結果、企業にとって研究所自体の必要性が低下し、高度な研究能力を持つ人材の価値も軽視されるようになったのである。
それは残念なことですね。
>以上の考察を踏まえ、私は以下の2点を提案したい。 >まず、大学側においては、博士課程の学生に対して十分な奨学金を用意し、少なくとも授業料は免除すべきである。 >そして、そのような支援を大学が自律的に行えるよう、国による抜本的な財政的支援が必要である。
そうですね。政治哲学の問題ですね。
>次に、社会の受け皿、とりわけ企業の文化を決定的に変えなければならない。 >アメリカや欧州においては、博士学位は就職時の初任給に反映されるのみならず、その後の昇進においても明らかに優遇される。
博士号を持っている人は学者ですからね。
>何より、博士学位を持つ人の能力をうまく活用する現場の仕組みが存在している。
人びとは学者に自己の見解を期待していますからね。
>残念ながら、現在の日本においては、博士課程のような高度な研究・教育を受けた有能な人材を使いこなす仕組みができていない。
そうですね。日本人に議論は成り立ちませんね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) は不要である。
>社会の側は、深い知識のみならず、問題を掘り出し、解決に向けた道筋を探る能力を持った博士課程修了者を、さまざまな分野で積極的に活用していくことが重要である。 >これにより、社会が抱える問題の本質が明らかになり、それを解決していくという姿勢が生まれることで、社会は大きく動いていくはずだ。
そうですね。 西洋人には意思がある。彼らの神様にも意思がある。 日本人には意思がない。彼らの神様にも意思がない。 意思があると加害者意識が生じ、罪の問題が生じる。それで深刻な反省に陥り、真面目人間になる。原因究明に執念を燃やす。 意思がないと加害者意識が生じないので、罪が問題にならない。深刻な反省に陥ることもなく、真面目人間になることもない。常に浮いた気持になっていて、痛みを忘れる。原因追及には興味がない。 原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」と刻まれているが、歌詠みには過ちは何であるかを追求する執念がない。何もわかっていないから過ちは避けられない。 昔は西洋の人々は神の意志に従って生きた。今は神は死んだ(Gott ist tot)ので、個人が自ら価値を創造し主体的に生きることに重要性がある。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>日本社会全体が抱える極めて重要な課題 >こうした博士課程修了者の活躍の場は、民間企業にとどまらない。 >いわゆるお役所や銀行などの金融業界へも大幅に広がるべきである。 >中央官庁のみならず、地方の現場でも新しい問題が次々と起こっており、既存の方法のやり繰りだけでは解決できない局面が多々ある。 >こうした場でこそ、博士号を持つ人材はその力を十二分に発揮するであろう。 >社会の中での実践的な経験値のみを評価するのではなく、高レベルの教育を生かせる職場環境を構築していかなければならない。 >これは日本社会全体が抱える極めて重要な課題である。
そうですね。我々日本人は無哲学・能天気ではいられませんね。
>この課題を克服し、高度な知を尊重する社会へと変革することによって初めて、日本はこれからの厳しい国際競争に生き残る国として、再び名乗りを上げることができるはずである。
そうですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩により一層の貢献が可能になるでしょう。
|