2026年04月26日(日) 

 

>東洋経済オンライン   >「学歴」にこだわる人が見落としている人生の真実   >安井元康の意見・   >5か月・   

>某地方自治体の市長の話を含め、相変わらず学歴に関する話題やネタには事欠かない印象だ。    

>そこで今回は、なぜ人はわざわざ他人の学歴を気にして、中高年になってもレッテル貼りに使うのか、はたまた、なぜ学歴が長年ホットな論争の話題でありうるのかについて考えていきたい。    

>学歴が論争の種になりやすい3つの特徴    

>まず、学歴は以下の3つの特徴のために、「わかりやすい評価指標」や「比較対象の基準」として使うのに圧倒的に便利だ。    

>それらの特徴とは、    

>① 学歴とは誰もが持っているものである    

>② 「偏差値」などの共通の指標でレベル感が可視化されており、共通認識として一般的に解釈され、受け入れられている    

>③ 過去にさかのぼって変えることができない    

>というものだ。    

>学歴は誰もがもっている「歴」であり、なおかつ、共通の認識としてそのレベル感が可視化されている。    

>そのため、非常にわかりやすい評価や比較対象の指標・基準として機能している。    

>しかも、過去にさかのぼって変えることができないため、ある人にとってはいつまでも「過去の栄光」として自分の価値証明として活用できる一方で、悪意のある人にしてみれば「過去の汚点」としての攻撃材料になりうる、ということになる。     

>これが、例えば職歴など、ほかの「歴」であれば、レベル感の共通認識を持つことそのものが困難であったり、将来的に変わる可能性も大いにありうるので、比較対象の指標としては機能しにくい。    

>大企業の係長と中小企業の部長、大都市の大手企業の勤め人と地方の中小企業の社長、有名企業の勤め人とインフルエンサーやユーチューバー、海外の無名企業勤務者と日本の官公庁勤務者、などなど、本人またはよほど詳しい情報がない限り、仕事のスペックや人間性、年収などの把握が困難であるということは言うまでもない。    

>したがって、「わかりやすい評価指標や比較対象基準」とは言いがたい面がある。    

>さらに言うと、ある時期、同じ企業に勤務しており、同じようなスペックや仕事内容、報酬体系であった者たちが、数年後に転職や起業などを経て、いろいろな面で大きく差がつく、なんてこともザラである。    

>「過去のそのときの評価」が一生ものではないという意味においても、やはり「わかりやすい比較指標や比較対象基準」とはなりえないのだ。    

>「学歴」と「階数」に共通する要素    

>ちなみに、レベル感が共通認識として価値化されていることは、評価基準や比較対象基準として活用するには(もちろん一部の人たちにとっては、という前提ではあるが)非常に便利なのだ。    

 

日本人は序列人間である。   

日本人の礼儀は序列作法になっている。   

だから、礼儀正しい日本人は ‘人を見損なってはいけない’ と始終緊張している。   

人を見損なわないためには、わかりやすい評価基準が必要である。   

それで学歴が非常に便利である。   

 

>ある意味、タワーマンションの住民の「階数マウンティング」も同様だ。    

>外見やライフスタイルだけでは相手の社会的地位や経済的状況を判断できないので、「同じマンションという共通の土俵」において、値段などの価値がわかりやすく、なおかつ、そのマンション内限定ではあるものの、住民の共通認識として持たれている「階数」という指標によってレッテル張りをする浅はかな行為にいそしんでいる、という構図なのだろう。    

>はたから見れば、どんぐりの背比べ以上でも以下でもない。    

 

そうですね。’上と見るか、下見るか’ のメンタリィティは礼儀正しい日本人には避けられないですね。      

 

>そもそも論として、他人との比較においてでしか自分の価値を判断できないこと自体に危機感を持つべきなのだが、それでも他人と比較したがるというのは一種のクセや習慣のようなものなのだろう。   

 

そうですね。日本語文法のように階称 (hierarchy: 言葉遣い) があると他人と比較したがることになりますね。欧米人の社会は ‘ため口社会’ ですから、雰囲気が違いますね。[ため口: 相手と対等の立場でものをいうこと]        

 

>話を戻すと、「学歴を気にしない人」と「いつになっても学歴を持ち出したりする人」の違いはどこにあるのだろうか。   

 

日本人の学歴は身分の言い換えにすぎませんね。身分制度は日本人に社会から抜け切れませんね。これは日本語文法の階称にためです。         

 

>結論から言ってしまうと、現在の自分の生活や環境に満足しているのか、現状に不満や不安を抱えているかの違いである。    

 

皆がリーズナブルな社会に生きたいですね。  

 

>現在の自分自身の生活や仕事などに満足している人は、当然であるが、目線は現在と将来を向いている。    

>過去をさかのぼっている暇もないし、その必要性もない。    

>あえて過去にさかのぼるのであれば、過去の成功ではなく、過去の失敗から学ぶため、ということくらいだ。    

>そして、自分自身の社会におけるポジションも、自分自身の価値も、自分なりの指標や考え方によって把握しているので、他人と比べるという思考にはならない。    

>反対に、現在の自分自身の生活や仕事などに満足しておらず、不満や不安を抱えている人の目線は「過去の栄光」に向きがちだ。    

>現在からは逃避したいし、将来を考える余裕がないので、過去に活路を見いだす。    

>「過去から学ぶ」のではなく、「過去に依存している」ともいえる。    

>そして、自分自身に対する自信がないがゆえに、他人との関わりや関係において、社会における自分の立ち位置などを必死に探そうとする。    

>その結果が、他人をおとしめることや他人のあら探しをすることで、自分の価値が上がったと勘違いしたり、勝った気になるという、自己肯定のための自己防衛行動に走ることになる。

 

これは日本人の好きな相対理論ですね。   

 

>学歴に活路を見いだすことのむなしさ    

>もちろん、これは本質的な行動や思考回路ではない。    

>他人をおとしめたり、他人の過去のあら探しをしても、自分の価値が上がるわけでもないし、自分自身の現在と将来に何かポジティブな影響があるわけでも決してない。    

>そう考えると、現在のように社会が多様化し、複雑化し、将来の見通しが立ちにくい世の中であるからこそ、不変的でわかりやすい「学歴」に最後の拠り所を見いだす人もより増えているのだろう。   

 

やはり日本語文法の弊害にたどりつきますね。   

 

>だが、大学に進学すること自体がエリートの象徴であった戦前などとは異なり、現在は大学の学位自体も価値もデフレ気味だ。   

>皆が同じように大企業に就職するという時代であれば、年齢によって相手と自分の社会におけるポジションなどは容易に把握できたが、現在はカタカナ名の職業の乱立や人生の最高の瞬間切り取りメディアであるSNSの普及などにより、何が価値なのか、何が正解なのかもわからず、自分の人生に疑問を持つ人も増えている。      

>だからこそ、変わることはないし、共通認識として順番を明示してくれる「学歴」に活路を見いだす人が多いのだと思う。    

 

日本人には世界観がない。勢い日本だけの学歴のはなしに集中しますね。それほど価値のあるものかは考えたこともない。      

 

>「自分は●●大学出身だ」ということで、他人に自分が価値のある人間だと認識してほしいという欲求もあれば、自分自身を納得させ安心させる材料として使うという側面もあるだろう。    

>わからなくはないのだが、本来やるべきことは、現時点においてパフォーマンスを出すことであり、将来をより良くするための行動を起こすことであり、過去ではなく現在と将来の幸せを担保するための行動に注力することだ。    

>変わることのない過去を振り返り、過去に生きるのではなく、これから自分次第でいくらでも変えることのできる未来を見るべきだ。    

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。  

意思のある所に方法がある。Where there’s a will, there’s a way.

だが日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱。無為無策で坐して死を待つのか。仕方がないので、指示待ち人間になっている。        

 

>下を見て安心するのではなく、上を見てはい上がれ    

>それでも学歴で他人を判断したいという人には、ぜひ以下のことを覚えておいてほしい。    

>それは、現在のようにグローバル化されている世の中において、日本という限られたリーグの中における比較は意味がない、ということだ(前述のタワマン内のマウンティングと同様に)。    

>世界大学ランキングで見れば、日本の上位校も決して誇れる順位ではない。    

 

そうですね。井の中の蛙ですね。   

 

>経営者の学歴という観点でも、修士課程修了者が多い海外に比べて、学士主体の日本の経営者は低学歴だともいえる。    

 

そうですね。   

 

>要は、下を見て安心するのではなく、どうせ他人と比べたいなら、上を見て、自分がさらに上にはい上がるためのモチベーションとして活用してほしい、ということだ。    

>繰り返しになるが、相手の現在のパフォーマンスなどを見ずに、過去の一部の経歴だけ見て安心しても、自分自身の価値向上にはまったく関係がない。    

>変わらない過去ではなく、これからいくらでも変えることのできる将来を見据えて、前向きな行動と思考に努めるべし。   

 

そうですね。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数25 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/04/26 20:34
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