災害の責任 |
>読売新聞 >28人死亡の熱海土石流災害の責任どこに… 県も市も前所有者も現所有者も法的責任否定、防災対策押し付け合い >読売新聞によるストーリー・ >6時間・ > 静岡県熱海市で盛り土が崩れ、28人が死亡した2021年の土石流災害で、県や市、県の指針を超える高さの盛り土が判明した10年当時の土地所有者(前所有者)、災害時の土地所有者(現所有者)の4者は、いずれも法的責任を否定している。 >遺族らが県などに損害賠償を求めた訴訟は続いており、法廷での4者の主張や裁判資料などからは、防災対策を押し付け合い、有効な手立てが講じられなかった構図が浮かび上がる。(静岡支局 中島和哉、遠藤美奈) > 県が設置した第三者委員会の報告書などによると、前所有者は高級別荘地を開発するとして土地を買い、07年に盛り土の計画書を市に提出した。 >川の源流にあたる山間部の斜面に土砂が積まれ、10年8月に市が確認したところ、盛り土の高さは約45メートル。 >県指針の3倍に達していた。 >産業廃棄物も交じっていた。 > 土石流は21年7月3日午前10時半頃に起きた。 >25メートルプール(幅12メートル、水深1メートル)185個分の5万5500立方メートルの土砂が崩れ、一部は約2キロ先の海まで流れ下った。 >午前10時までの72時間雨量は市内で461ミリ。 >観測史上最大だった。 > 訴訟では、前所有者と現所有者がそれぞれの主張を展開している。 > 前所有者は今年2月に出廷。 >11年2月に土地を売っており、それ以降は現所有者に管理責任があると強調した。 >現所有者は訴訟の答弁書で、購入時は盛り土の存在を知らず、前所有者から盛り土の量や工法について説明を受けていなかったと主張。 >今年3月の尋問では「(崩落は)予想していなかった」と述べた。 >お見合い > 行政の対応はどうだったのか。 >県は07年、1ヘクタール超の土地で無許可開発が行われていると判断。 >森林法を適用して前所有者に盛り土を中止させた。 >1年をかけ、森林面積の回復や土砂の流出防止措置も実施させた。 > だが、その後に盛り土は再開された。 >前所有者は09年11月、盛り土した土地を1・2ヘクタールとする図面を市に提出した。 > これ以降、市は県に、県は市に対応を委ねる姿勢を示し、対策が進まない「お見合い」が起きた。
責任の所在が明確でないですね。
> 市は盛り土の面積が1ヘクタールを超え、森林法の適用要件を満たすと判断。 >09年12月と10年11月、森林法の再適用を県と協議した。 >これに対し、県は09年12月、「図面は信ぴょう性に欠ける」として適用しない考えを市に伝達。 >11年3月にも、市で対応するよう求めた。 > 県職員は尋問で、「1ヘクタール超」に合致する明確な根拠がなかったと説明。 >市に正確な面積を調べるよう求めたが、報告がなかったと主張した。
それは職務怠慢ですね。
> 原告側の杉田峻介弁護士は「県は面積を確認できなかったのではなく、確認しようとしなかっただけだ」と批判する。
それは職務怠慢ですね。
>チャンス逃す > 県との協議が不調に終わった後、市は県条例に基づく「措置命令」を検討し始めた。 >土砂の撤去などを命じることができるものだ。 > 前所有者は土地を売却した後も、書類上は盛り土を申請した事業者となっていた。 >このため市は11年6月、措置命令を出す方針を前所有者に伝えた。 > だが、実際の発出は見送った。 >前所有者が土砂搬入の中止と防災工事を約束したためだ。 >県指針に沿って盛り土を低くするよう命じることもなかった。
それは職務怠慢ですね。
> 原告側の池田直樹弁護士は「土石流を防ぐ最後のチャンスを逃した」と語る。
職務怠慢を見逃していたらきりがないですね。日本人には罪の意識が希薄なのでしょうね。
>実施された防災工事も「小規模で簡易な工事で十分ではなかった」と批判する。 > 土石流は今年で発生から5年。 >母を亡くした田中彬裕さん(37)は「原因を作った人、被害を防げなかった人に怒りを感じる」と語気を強める。
A級戦犯合祀問題の様なもので、犠牲者だらけの国内に、責任者が見当たらない。これは日本語によるマジックか。兎角この世は無責任。我々は考え方を改めなければならない。 日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。その結果、この世の中に犠牲者・被害者は満ち溢れても、その責任者は見当たらない。意思のある所に方法がある。Where there’s a will, there’s a way. 我が国の序列社会の順位は自己利益の配分のための順位で、恣意の優先順位でもある。トップは存在するが、責任観念はない。それで、兎角この世は無責任となる。 意思のない人間には責任がない。責任のない人間には信頼がない。信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵] 政治音痴ということか。
自然には意思がない。日本人にも意思がない。だから、日本人は自然に中に溶け込んで生活している。自然は変わらない。 印欧語族は意思がある。意思のある所に方法はある。だから、指導力を発揮できる。責任者になれる。大会社のCEOやスポーツ選手のコーチに印欧語族の人を我々が選ぶのは意義あることである。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩により一層の貢献が可能になるでしょう。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。 わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば、独創性が認められると学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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