2026年05月03日(日) 

 

>tend   >平和憲法は日本の宝かそれとも足かせか、金沢で響く反戦の叫びに透ける理想と冷厳な現実のギャップを考える   >tendによるストーリー・   >10時間・   

>金沢駅前で市民団体が護憲デモを開催。    

>戦争反対を訴える参加者と現実的抑止力を説くネット世論が激突   

>石川県金沢市の玄関口で、平和を願う切実な声が夜空に響きました。    

>四月末の週末、JR金沢駅前で開催されたのは、市民団体による平和憲法を守るためのサイレントデモです。    

>参加した約二百三十名の市民は、手作りのプラカードを掲げ、行進を伴わないスタンディング形式で思いを表明しました。    

>マイクを握った参加者からは、現政権が進める武器輸出の解禁や、混迷を極める国際情勢への不安が相次いで語られました。    

>七十代の女性は、自身の父親が経験した戦地の悲劇を引き合いに出し、憲法九条があったからこそ戦後の平和が維持されてきたと強調。    

>また、看護師の女性は、かつて医療従事者も戦地へ送られた歴史に触れ、二度とその過ちを繰り返してはならないと強く訴えました。    

>しかし、こうした感情に訴える平和運動に対し、インターネット上では厳しい視線が注がれています。    

>コメント欄には、現実的な安全保障を重視する声が溢れました。    

>『平和を願うだけで平和が維持できるのであれば、ウクライナ戦争も、ガザ地区も、イランを巡る緊張も起きていません。    

>現実は逆で、力の空白があればそこに介入が起きるという現在です』    

 

そうですね。   

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。しかし日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)   

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。= 真に勝つことは自らの力を増すことで、戦わずして勝つことが最善である。      

わが国は平和国家であるから自国の強大な抑止力 (物量) を示しながら相手国の冒険主義を抑えて、国家の最善を目指さなくてはならない。 

 

>『話し合いで解決できないから紛争という段階に進んでいる。こちらからは決して先に手を出しません、という憲法で本当に自国を守れるのか』    

 

‘本当に自国を守れるのか’ などという難しい問題を考えることはない。自国の平和を相手国の意思にゆだねるのは良くない、自国を自国民の意思で確実に守るのが良い。  

 

>このように、理想を掲げるデモ参加者と、抑止力の必要性を説く現実主義的な視点の間には、容易には埋めがたい溝が存在しています。    

>特に、中国やロシアといった近隣諸国の動向を不安視する層からは、お題目だけの平和論は無責任であるとの批判も根強く、一部からは『特定の思想集団によるパフォーマンスではないか』という冷ややかな指摘も上がっています。    

 

国防に関して日和見的な態度に身を任せるのは良くない。取り返しがつかないことになる。   

 

>一方で、デモに参加した漫画家志望の女性が語った『エンターテインメントは平和あってこそ』という言葉は、立場を問わず多くの人が頷ける真理でしょう。    

>誰もが平和を願っている点は共通していますが、その平和をいかにして持続させるかという手法において、世論は今、かつてないほど激しく二分されています。    

 

人びとは平和を口にしながら激しく戦っていますね。一度戦ったら止められない。      

 

>理想と現実、その狭間で揺れる日本の安全保障議論は、今後もより一層の熱を帯びていきそうです。    

>The post 平和憲法は日本の宝かそれとも足かせか、金沢で響く反戦の叫びに透ける理想と冷厳な現実のギャップを考える first appeared on tend. 「あなたの好きが、ここで深まる。」    

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。

わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば、独創性が認められると学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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閲覧数3 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/05/03 21:30
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