書き込み数は4件です。 | ◀▶ |
齢をとってくると、葬式の出席に忙しくなる。このような心境は、若いころには想像できなかった。友人が死ぬこと自体がほとんどなかったからである。今では友人・親族が次から次へと他界するので、次は自分の番かと、つい考えてしまう。生きながらえて、粗大ゴミになるか。それとも、早いこと見切りをつけてこの世におさらばするか。それが、問題である。'齢取った、齢取った' と、周囲のものから褒められているのや、落胆さてるのやら。 人が死ぬことを、'天国に旅立つ' と表現する。地獄に落ちる人はあまりいないようである。天国が、本当にあるのだろうか。なくても、人はつ … [続きを読む] |
社会は、相手が存在してのことである。 未来社会の建設は、相手と相談して合意に達しなければならない。 '自分さえ善ければ' の修身教育では、対処できない。 '我々はどこに行くか。' これは、哲学の命題である。その答えは、非現実の内容である。 過去・現在・未来の中の未来の世界について尋ねているのである。これらの三世界は、時制から発生している。 時制が無ければ、このような哲学的な (非現実の)発想もない。 特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。だから、北東アジアの民は、無哲学・能天気である。 '我々日本人は、どこにも行かない'。 'どこ' という … [続きを読む] |
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>シャーマン米国務次官は2015年2月27日、日本、中国、韓国が3月中に外相会談を開催するとした上で「首脳会談につながることが期待されている」と述ぺた。戦後70年に当たり、歴史問題をめぐる対立を解消し,3カ国が米国と足並みをそろえることが地域の発展にとり好ましとの考えも示した。ワシントンのシンクタンクで戦後70年をテーマに講演した。(引用終り) アメリカ人の行動指針は、'小異 (中傷) を捨てて大同 (哲学)につく' ことである。 特亜三国の言語には時制が無く、民の脳裏には世界観が無い。だから、世界の 'あるべき姿' が、発想できない。そして、大同が無いので小異を … [続きを読む] |
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