



>東京新聞 ><社説>戦後80年に考える冷ややかな視線の先に >8時間・
>戦後精神を象徴する組織が揺らいでいます。
>「国の特別機関」である日本学術会議です。
>来年10月から特殊法人に移行させる新法が6月に成立しました。
> 学者の立場から、時の政治権力に対する批判も辞さない。
>その独立性が組織の生命線です。
そうですね。自己の独立性が必要ですね。
>この精神は戦前、戦中の科学者らの戦争協力への反省に基づいています。
> しかし、特殊法人化後は首相が任命する有識者が会員選考や運営に関わる仕組みに変わります。
>処罰規定も設けられ、自由な議論が封じられる懸念も拭えません。
> 「学問の自由」が脅かされかねない。
>前例が不安を醸します。
>1930年代の学術界弾圧です。
> その象徴は35年の天皇機関説事件です=写真は、事件を報じる35年2月19日の都新聞(中日新聞社が発行する東京新聞の前身)。
>機関説は当時、貴族院議員で東京帝国大名誉教授でもある美濃部達吉の学説で定説とされていました。
> 「天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治権を行使する」という内容ですが、軍部や右翼から「明らかなる反逆」などと攻撃された美濃部は議員辞職を強いられ、教壇からも追われました。
>◆学術会議と天皇機関説
> 時代こそ異なりますが、学術会議問題と天皇機関説事件にはいくつかの共通項があります。
> 前者の発端は、菅義偉首相(当時)による学術会議会員候補の任命拒否。
>会員選考に政府不介入との不文律を破ったのです。
>背景には軍事研究を促す政府方針に対する会議側の抵抗がありました。
> 天皇機関説事件では、陸軍主導の体制構築を説く小冊子に、美濃部が異議を唱えました。
> ともに権力は、学術界の批判に意趣返しをしたのです。
> もう一つ重なり合うのは、学術界への圧力に対する多数派国民の無関心や冷ややかな目線です。
そうですね。国民は無哲学・能天気ですからね。
> 学術会議の特殊法人化に反対する運動では、100を超える学会の声明や7万筆以上のオンライン署名、任命拒否された学者を含む座り込みなどがありました。
> とはいえ、福島原発事故後の反原発運動のような盛り上がりはなく、学術会議を「権威的な集団」とみなす一部の研究者らは、ひとごとのように振る舞いました。
そうですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え) がない。原発事故は事実、特殊法人化は考えですからね。
> 軍部や右翼のやり玉に挙がった美濃部も孤立しました。
>自由主義の論客、評論家の清沢洌(きよし)は「美濃部博士に対し右翼は直ちに結成するが、かれの意見に賛成する者は少しもバック(支援)しない」と日記に記しています。
そうですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え) がない。日本人は自分自身の本質を知らない。
> 多くの国民も美濃部ら欧米で学んだ学者らに「いい気味だ」と冷笑的だったとされます。
>日本は当時、満州国(中国東北部)撤退を拒み、国際連盟を脱退。
>国粋主義の風潮が強まっていました。
> 天皇機関説事件の2年後に日中戦争が起き、太平洋戦争を経て10年後に敗戦を迎えました。
> 政治学者の丸山真男は戦前を振り返り「いうに足るレジスタンス(抵抗)の動きがなかったことを知識人の社会的責任の問題として反省」したと語りました。
日本人には意思がない。意思のない人間には加害者意識がない。罪の意識もない。失敗による深刻な反省に陥ることもない。真面目人間になれない。原因追究はなされない。だからいつまでも軽薄人間にとどまっている。
>学術会議の発足理念と重なります。
> 敗戦直後、多くの国民は「軍や右翼の暴走が惨禍をもたらした」という感情を共有し、民主主義国家の誕生を歓迎しました。
>こうした国民感情は「一億総中流」の時代まで共有されていましたが、バブル崩壊で崩れます。
>◆人権守る声絶やさずに
> その後の約30年にわたる新自由主義政策が格差と分断を招き、欧米と同様に右派ポピュリズムの温床となりました。
>ポピュリズムの本質は反エリート主義であり、学術会議問題への無関心とも無縁ではありません。
序列社会では、難関出身者の跋扈は当然敬遠されますね。
> 「上から目線」は不快ですが、右派ポピュリズムの怖さは人権などの普遍的価値までも「エリートの言説」と決めつけ、空洞化させることです。
無哲学・能天気の国民には、普遍的価値は無縁ですね。
>SNSの隆盛がそうした傾向を加速させています。
> 先の参院選では「戦前回帰」を志向する政党が躍進しました。
>戦後精神の揺らぎは明白です。
> では、どうすればいいのか。
> ポピュリズムの根底には不平等感があります。
個人主義がない。我が道を行くがない。平等ばかりが頭にある。
>その原因でもある格差是正を急ぎ、分断ではなく共同性を求める社会意識を育てなくてはなりません。
一億総中流社会ですかね。
> 何より、危うい空気にのみ込まれないことです。
>歴史の捏造(ねつぞう)を許さず、血と涙の産物である人権や民主主義の原則を尊重する発言を絶やさないことが大切です。
> それが暴論の勢いに沈黙した末に、破局に至った30年代の教訓ではないか。
>苦い歴史を学び直し、80年続いた「戦後」を永続させる意思が今、問われているのです。
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。
英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。
子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。
未来時制の構文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。
自己の意思を表すと加害者意識も経験することになる。
それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になり入信する人もいる。
深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。
事故の原因究明をうやむやにはできない様な心構えになる。
魂の救済を必要とする人も出て来る。
贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。
こうした過程を経て浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。
だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。
日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。
日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。
だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。
嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。
難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている。大型の子供たちである。
世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。



