平和学習の犠牲者 |
>Zakll >遺族の訴えを無視? 共産・小池氏「平和学習の犠牲者」発言にSNS激怒「政治利用だ」 >19時間・ >日本共産党の小池晃書記局長が4月27日の記者会見で、沖縄県名護市辺野古沖で発生した抗議船転覆事故の犠牲者について言及した内容が、SNS上で大きな波紋を広げている。 >遺族が明かした事実と著しく乖離した発言に対し、「犠牲者を都合よく政治利用している」と厳しい批判が相次いでいるのだ。 >「平和を勉強して来られた」遺族の思いと乖離した会見発言 >事故は3月16日、京都府の同志社国際高校の研修旅行中に発生した。 >共産党の地方組織も加盟する「ヘリ基地反対協議会」が運航するボートが転覆し、女子生徒と船長の男性が死亡した痛ましい事故である。
そうですね。「ヘリ基地反対協議会」の責任者はどなたですかね。ちゃんと責任をもって事故の説明すべきですね。
>小池氏はこの日の会見で、亡くなった女子生徒について「平和の問題を一生懸命勉強して沖縄まで来られた方がね、ああいった形で命を落とされるというのは絶対あってはならないことだし、本当に痛ましいことだと思います」と述べた。 >しかし、この「平和の問題を一生懸命勉強して沖縄まで来られた方」という表現が、SNS上で猛烈な反発を招いているのだ。
小池氏には自分と遺族との思いの乖離が気にならないのですかね。小池氏が協議会の最高責任者ですかね。
>「抗議船とは知らず…」遺族のnoteが明かした悲しすぎる真実 >その最大の理由は、遺族がnoteで発信した内容との決定的な矛盾である。 >遺族によれば、乗船する船が「抗議船」であることは事前に一切知らされていなかったという。 >さらに、女子生徒がこの体験コースを選択した理由は「美ら海水族館に行きたいんだけど、美術館で怖い絵を見るよりかは、お友達と綺麗な珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」という、高校生らしい純粋なものだったことが明かされている。
小池氏は参加者との考えの違いには気にならないのですかね。これが彼の常套手段ですかね。
>「まるで自分たちの仲間扱い」活動家と思考が同じと批判噴出 >こうした事実を踏まえ、X(旧ツイッター)上では小池氏の発言に対し怒りの声が噴出しているのだ。 >・遺族のnoteを読んでいないのではないか >・彼女は友達とサンゴ礁を見たかっただけなのに、勝手に自分たちの『平和問題』に熱心だったように言うな >といった指摘が数多く飛び交っている。 >また、遺族がnoteで「(娘を)まるで自分たちの仲間であったかのように語ることは到底、許容できません」と悲痛な声を上げていることを引き合いに出し、 >・犠牲になった女子高生をまるで自分たちの仲間のように利用する左翼って何なの?
これは牽強付会ですね。左翼のやり方ですかね。
>・抗議活動家と思考が一緒だ >と、不慮の死を遂げた生徒を自分たちの政治的イデオロギーや活動に結びつけようとする姿勢そのものを問題視する声が散見される。
彼は牽強付会の活動に慣れているような感じですね。今回の発言は彼の手法の宣伝にもなりますね。
>直接の謝罪はゼロ…問われる「ヘリ基地反対協議会」と共産党の誠意 >事故が起きた当初、抗議活動に携わっている人が「思いはきっと辺野古の無謀な工事はやめてくれという意味で辺野古に(来たのだろう)」と発言し激しい非難を浴びた経緯もあり、今回の小池氏の発言はそれと同根の「政治利用」であると受け止められている。 >さらに、事故発生後に沖縄に滞在していた遺族に対し、ヘリ基地反対協議会側から直接の謝罪や面会可否の問い合わせすら無かったという事実も重なり、 >・直接のお詫びもないのに、あの会見で耐えられるのか
理不尽のことは何もないという見解ですね。
>・小池さんにも子供がいるだろうに、我がこととしては考えられないのかなあ
小池さんはきっと別のことを考えているのでしょうね。
>と組織としての対応や人としての誠意を問う声も上がっている。 >遺族の発信や心情を軽視し、事実を都合よく解釈して「平和学習に熱心だった犠牲者」というストーリーに落とし込もうとするかのような小池氏の発言は、世間の不信感をさらに増幅させる結果となっている。
そうですね。責任者の話が出てこないのも不思議ですね。事故の責任が宙に浮いているようですね。 今の時代に責任者不在の活動が認められるのですかね。
われわれ日本人には意思 (will) が無い。 日本語の文法には時制 (tense) というものが無いので、未来構文の内容である意思を文にして表す事が出来ない。 だから優柔不断・意志薄弱に見える。無為無策でいながら坐して死を待つのか。 指示待ち人間になっている。
責任のある者は信頼される。そして尊敬される。 だが日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから信頼されることはない。一旦事が起これば、責任者捜しのために騒ぎが起こる。日本残酷物語の様な騒ぎになることもある。 肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。 徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
子供の勉強は他人の受け売りをすること。 大人の勉強は自己の見解を明らかにすること。自己の見解を論文として発表し、英米流の高等教育機関から独創性を認められると、学位 (哲学博士 = Doctor of Philosphy: Ph.D.) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 日本人は無哲学・能天気であるから、自己の見解を明らかにすることはできない。だから子供の状態にとどまる。受け売りの教育により天下の秀才 (クイズ王) が沢山出来る。 日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。自己の見解を明らかにすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩により一層の貢献が可能になるでしょう。
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