■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=201100
2008年09月05日(金) 



「上と見るか、下と見るか」を考えるのは、日本人の常である。
これは、日本語に、階称 (言葉遣い) があることによる。
品定めは、すでに平安朝の貴族もやっていた。
かような上下思考を繰り返していると、序列思考が身についてくる。
序列的発想法により、全ての物事を判断する習慣がつく。かくして身分格式の世界が出来上がる。
わが国は、カミの国である。戦後の民主的な臣民政府はお上が取り仕切っている。
序列的相互扶助がなくては、個人も国際社会に出て行けない。
「義理 (序列) が廃れば、この世は闇だ」ということである。
若者が長年月を費やして浪人生活をするのは、序列選びのためである。
だか、本業の学問は、無哲学・能天気であるために思わしい成果が現れない。
日本人個人とっては、英米流の学問はどうでもよいことである。
というよりも、実況放送・現状報告のための日本語を使っていては、学問はきわめて難しいのである。
我々も英語を学んで、「あるべき姿」に関する世界観を得よう。
さすれば、この国の個人も確立する。

「あるべき姿」の内容は、未来構文の内容。
「今ある姿」の内容は、現在構文の内容。
「あるべき姿」と「今ある姿」を比較すれば、現実批判が可能になる。
英語には、時制があるから、現実批判が可能である。
日本語には、時制がないから、現実批判が不可能である。
「現実を否定することはできない」と弁解しながら、日本人は現実肯定主義となる。
未来構文の内容には、個人差がある。だから、現実批判にも個人差ができる。
現実批判に個人差があれば議論ができる。だから、個人主義が理解できる。
日本語の唯一ある構文は、現実描写に使われる。
だから、日本人の発言内容は、現実構文の内容ということができる。
現実構文の内容は、個人差を認めない。あれば、事実誤認が存在することなる。
現実構文オンリーの発言内容は画一的であり、ご唱和の世界を形成する。
だが、日本人の道に反して、村八分もできれば、非国民もできる。
現実オンリーを考察する日本人は、切って揃えられたようなメンタリティ (考え方) を示す。
こうした情況の中では、個人主義を守ることは難しく、学問を育てることもまた難しい。
我々は、英語を学習し、英米人の理性判断を習得しなければならない。
926文字


Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.

沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins



You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
and http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


.


閲覧数1,219 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/09/05 21:03
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■この日はどんな日
ほかの[ 09月05日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み