2025年 5月

11121314151617
 
 
 
 
 
 
 
18192021222324
 
 
 
 
 
25262728293031
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=699443
2014年01月13日(月) 

日本人には意思がない。意思のないところに方法はない。無為無策で、座して死を待つ。さとりの時代か。生きる力がない。

日本人はどこにも移動しない。世の中が乱れることは良くないことである。変化がなければ天下泰平の世の中である。望むところだ。

‘我々はどこから来たか’、’何者であるか’、’どこに行くのか’ を考えるのは英米人である。これらの哲学的命題は、三時制 (現在・過去・未来の構文の区別) に対応している。現在の内容は、五感 (経験) を通して得ることができる。過去と未来の内容は非現実であるが、脳裡に構文を白紙の状態で置くのは気がかりなことである。だから、考えなくては得られない。つい、考えてしまう。

英米人は、経験を手掛かりとして非現実の世界 (過去・未来) の内容を得て考えとしている。インド人は、瞑想を手掛かりとして非現実の世界 (前世・来世) の内容を得て考えとしている。

英米の哲学から繰り出されてくる現実対応策は、天下泰平を望む日本人を悩ますことになる。"太平の眠りを覚ます上喜撰たった4杯で夜も眠れず"。鬼は外、福は内。だが、鎖国政策も通じない。日本人は、英米人と共に歩くことはない。彼らの後からついてゆく。
我が国の超国家主義を持ち出して国民を鼓舞しても外国人はついてこないし、孤立無援の励みとなる。この道はいつか来た道。ああ、そうだよ。民族の歴史は繰り返す。

脳裏にある非現実の内容は動かないから、絶対化できる。自由であり自分の考え次第で変えられる。だが、非現実の内容を考えたり、表現することができない者にはこの自由はない。ここが重要なポイントである。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。『勝った者、または勝ったと見なされたもの』は現実の内容である。あくまでも現実にとどまった議論であり、この内容を絶対化することはできないし、判断基準とすることもできない。
我々の基準は遠未来に到達すべき ‘あるべき姿’ の内容でなくてはならない。だが、この種の内容は日本人の口からは出てこない。

首相の靖国参拝の問題に関しても、’大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の各首相が合祀後も何回も参拝しているが、中国、韓国はまったく問題にしていなかった’ とか、’安倍首相の靖国参拝に対し、米国務省と駐日大使館は「失望感」を表明したが、これは小泉純一郎首相(当時)が参拝を繰り返した際には示されなかったことだ’ といった、現象論を基礎にして正しい判断を下すことはできない。現実・現象界は千変万化する。だから、現実を基準にとって判断を下そうとする人間は答えがあやふやで、とらえどころがない。現実しか語れない日本人は、判断基準の絶対化には手が届かないし、断固たる結論にも達しない。したがって、自己の主張もない。恨み節がある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/




閲覧数799 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/01/13 15:21
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■この日はどんな日
ほかの[ 01月13日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み