国費留学生に 'どうして留学先に日本を選んだのか' と尋ねると、'はじめはアメリカに行きたかったのだが、日本で金を呉れるというので日本に来た' と答える。残念ではあるが、これは正直な答えのように思える。
文化国家日本の水準はどの程度のものか。先進国相互の交換留学の結果はどのようなものになるのか。無哲学・能天気の国にきて、英米流の教育を受ける事は難しい。だから、来日の目的は、アフリカ探検と同じく、事実の収拾だけになる。事実に基づいて自己の考え (非現実の内容)を展開すれば、それは学問となる。だが、それは我が国の特技ではない。
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我が国は、主として英語圏の大学卒業生を高校の英語教育の補助教員にやとっているが、契約期間を過ぎれば、大学院に入学して高等教育の勉強を継続するものも多い。彼らは学生に限らず、英語圏内を我が物顔に移動して歩く感じである。英語を知っているのと知らないのでは、世界の広さがまったく違う。英語の語学学校で日常会話に習熟しても、メンタリティの改善にはならない。英語圏の大学人となったうえで、世界の大学院を選ぶ条件が整うのであろう。
英語の価値は、非現実の考察にある。非現実の内容を現実の世界で実現できれば、それは創造力を発揮したことになる。これは、大人の考察である。言語能力の未発達な子供にはできない。
日本語の考察は、現実の範囲にある。この範囲の内容を外国人と交換するのであれば、英米の高等教育は必要ない。となれば、学費の安い東南アジアでの語学教育で事足りる。
だから、我が国においては、東南アジアの語学教育は人気が高く、むずかしくて学費のかかる英米の高等教育は敬遠されがちである。
母語に基づいた認識の違いは、一朝一夕には是正できない。我が国の教育関係者も、この点の改善に留意すべきである。
フランク・ギブニーは、<人は城、人は石垣>のなかで、 '大学卒を含め、日本の子供たちが習う物事の中核は、主として十八歳までに吸収される。'と書いていが、全くその通りで、わが国民の民度の低さが問題である。民度が今より高くならなくては、英米流の高等教育への要求も高まらない。我が国の大学院制度は屋上屋を架す、、、、ような状態になっていて、さらに形骸化する。アメリカでは、大学卒業者は教員に採用されたのちにも、一定期間内に修士号を取得できなければ、解雇される。ニューヨーク州では、その猶予期間は5年である。
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我が国では、自国の国防を外国人の血で贖うことも良しとされている。現実に対する喜びをこの世のすべてと考えている。未来(非現実)に関する内容には、夢も希望もない。世界観がないのである。国民は、まず自己利益に関係するかどうかを考えている。'あるべき姿' (非現実)を考えて答えを出す事はまず無い。あるのは、‘世の中は、、、、’(現実)の内容だけである。国際的な指導者になるには、小異を捨てて大同につくことの大切さを各国の指導者たちに伝えて説得しなくてはならない。大同 (総論・哲学) がないので、小異にのみこだわる。‘金を出すのだから、、、、何とかなるはずだ’ と考えている。だから、日本人は外国人から心の友を期待されているわけではない。国際的な未来社会建設のための団結の核にはなれない。経済大国であるが、あくまでも、‘日本で金を呉れるというので、、、、、‘ということなのであろう。日本は、世界の指導者を育てる術を知らない。我が国は、この難問を解決に導く指導者を立てる必要がある。