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文法とメンタリティ (考え方) の間には、密接な関係が有る。 各民族で言語は違う。だから、'日本の常識は、世界の非常識' ということもありうる。 意思があれば、個人・個人で違う。だから、個人を意識せざるを得ない。個人主義も成り立つ。 意思がなければ、個人は見えず、すべての動きが自然の流れに見えている キリスト教関係の本では、'神のみこころ' という言葉が出てくる。'神のみこころ' というのは、'神の意思' のことである。だから、キリスト教では、一人の神の意思の内容を大切にしていることがわかる。独断専行の善さか。 我が国の神様は大勢いるが、自己の意思の内容を表さない。毎年、全ての神様が出雲に集まって談合をしているらしいが、意思決定は無いようだ。民主的のようであるが、意味が無い。 プログラム通りに動くロボットを信用するか。それとも、心のある人間を信用するか。どちらを取るか。 予定通りの玉砕・特攻隊となるか。それとも、自分の頭で考え直す余地が有るか。 考え直すことのできる人は、信頼できる。これは、優柔不断・意志薄弱と同じことではない。考え直すということは、文章の筋を考え直すことである。 自分自身の考えが無い '愚直' ではだめだ。'黙って俺についてこい' と言われたら、どうするのか。 この人は、わかっちゃいるけどやめられない状態にある。信なくば立たず。 日本人には意思が無い。だから、意思の自由を認めようとすれば、恣意の自由を認めたことになる。これはとんでもないことになる。 意思には文章内容が有る。筋が有る。恣意は文章にならない。筋が無い。説明責任はとれない。国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。この状態には、今も昔も変わりがない。 日本人は、この世の内容を、事の次第と成り行きで説明する。 個人に意思がなければ、責任の話は出て来ない。 とかく、この世は無責任。 意思がなければ、自由が利かない。 危機に及んで、座して死を待つ。 望まずして、危機に陥る民族である。 優柔不断・意志薄弱。意思の内容が無ければ自滅する。一億総玉砕で死ぬ。 意思は未来時制の文章内容である。 日本語には時制が無く、日本人には意思の内容が無い。 だから、意思決定が難しい。 意思のある人には、加害者意識も、被害者意識も有る。 加害者意識のある人は、深い反省をする。自分自身で以後の行動を改める。 意思の無い人には、加害者意識 (罪の意識)は無い。被害者意識だけで生きているアニマルのようなものか。浅薄である。安らかに眠ってください。過ちは何度でも繰り返しますから。 意思の無い人には、被害者意識を持たせて、以後の行動を改めさせるしかない。だから、調教・お仕置きで行く。 自由とは、意思の自由の事である。 日本人には意思が無い。だから、自由もない。 自由といえば、恣意の自由しか思いつかない。これは、'自由の履き違い' になる。 恣意 (私意・わがまま・身勝手) は、どこの国でも認められていない。 恣意には、滅私奉公で対処する。 不自由を、つねと思えば不足なし。 再び元の出発地点に戻るのか。 . |