日本語には時制が無い。 日本人の脳裏には、実況放送・現状報告の内容 (現実) しか入っていない。 '世の中は、、、' (現実) の発想法しかない。'あるべき姿' (非現実)の内容が無い。 'あるべき姿' の判断が、'ものの上下' の判断に置き換えられている。 '世の中は、、、、、、' の発想法によれば、'いずこも同じ秋の夕暮れ' に見える。 深刻な反省はどこを探しても無い。だから、浅薄に見える。 日本語には階称 (言葉遣い) が有る。 日本人は絶えず序列的判断を迫られている。だから、序列的価値観を持っている。世俗 (現実) の上下にとらわれている。 その価値は、個人の一挙手一投足の行動の中にまで浸み込む。現実的な現人神のようなものか。序列順位昇進の喜びは大きい。 他人の褒め言葉もうれしい。自己慶賀もよい。これは、おめでたいことである。 下と見られた時の怒りも、また激しい。喜びも悲しみも、見えと外聞で決まる。自己が無い。 謝罪をしたらワン・ランク・ダウンと考える。自分の価値判断を上げるとは考えられない。 かくして堪え難きを堪え、忍びがたきを忍んで、国際社会において名誉ある地位を占めたいと願う。 . |