2017年04月26日(水) 

 



>権利の意味は正しいということであり、その権利の行使を「自由」という。

 

自由意思による行使ですね。

 

>私たちがよく使う自由の意味は勝手気ままという意味が殆どであろう。

 

日本人には意思が無い。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) がある。意思の自由は、自由のはき違えですね。

 

>ではなぜ勝手気ままにできるのか、それは世間において正しいと認識されているからである。

 

意思の内容を明らかにする必要がありますね。立候補者の様なものですね。

 

>正しくないことは自由勝手にはできないのである。

 

どこの国でも、恣意の自由は認められませんね。

 

>ゆえに正しいことを行使するのが自由である。

 

そうですね。リーズナブルの言動が必要ですね。理性の教育が必要です。

 

>自由とは正しい言動ならば自由勝手にどうぞと言う事である。

 

意思が明らかにならないと、’自由にどうぞ’ とはならないでしょうね。


>そして自由とは常に、この世を良くするために使われるべき言葉であり、悪くするために使う言葉ではない。

 

この世においては、何が良いのか、悪いのかを十分議論しなければいけませんね。理想の未来社会を建設するには議論が必要です。

 

>“報道しない自由がある”などと悪用してはならないのだ。

 

夢と希望を与える未来社会の内容は報道しなければいけないことでしょう。

>基本的に権利には義務が、自由には責任が伴うと言われている。

 

権利を要求すれば義務を伴うし、自由意思のない人には責任感もないでしょう。

 

>自由だけでなく行動・発言には常に責任が伴うのだ。

 

意思のある人間は、自己の意思を示すことにより責任者となることでしょう。

 

>このことを最近の日本人はすっかり忘れている。

 

日本人には意思 (will) は無いが、恣意 (self-will) がある。これは、アニマルと同じ状態であります。

恣意は、バラバラな単語のままで、文章にはならないので、意味が無い。矛盾も指摘できない。本人は小言・片言・独り言として恣意を発する。

恣意の自由を主張する者は、自由のはき違えになります。

 

>すべての言動には責任が伴うのである。

 

自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。自己の意思を示さなければ、傍観者にとどまる。意思表示が大切です。

>昔の日本には権利や自由という言葉はなかった。>しかし何の不自由もなく社会は回っていた。

 

そうですね。万事、不自由を常と思えば不足なし、ですね。意思が無いから、意思の自由は不要です。

 

>なぜなら間違ったことをやれば腹を切って責任を取るという文化が日本社会にはあったからである。

 

間違いは誤りであり、過ちを犯した者は謝らなくてはいけませんね。

 

>権利や自由や人権などの言葉が西洋から輸入され責任が片隅に追いやられ日本社会は本当に軽薄になってしまった。

 

そうですね。とかく、この世は無責任、ですか。この国が、ひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

 

>「何かあれば責任を取る」という文化が薄らいで、権利だ、自由だ、人権だと叫んでいる欧米国家以上の「無責任国家」になった。

自己の意思を示せば、その人に責任がある。日本人には、意思が無いので、責任感も湧かない。

意思は、未来時制の文章内容であり、日本語には時制というものがないから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。

 

>私たち日本人が“言動には常に責任が伴うのだ”と責任感さえしっかりと認識するようになれば、権利や自由や人権を叫ぶ無責任国家とおさらばし、もう少しまともな国家になれるのだが。

 

そうですね。意思のない人達には、責任もないですね。英米流の高等教育を受けて、無責任国家とおさらばしようではあませんか。

 

>責任感の復権こそが日本の復権のカギである。

 

意思のある所に方法はある。(Where there’s a will, there’s a way). 意思の無いところに、方法は無い。意思の無い日本人に与えられた仕事は、牛馬の苦役の様なものになる。だから、誰も責任者となりたくもなく、責任を取りたくもない。

 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

昔の日本人は、15歳の見習い乗子の責任は考えられたが、5代将軍と佐土原藩主の責任については考えられなかったようである。つまり、人間序列の順位の高さとその責任の大きさには関係が無かった。これは、意思というもののない世界の出来事である。

 

 

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閲覧数8,431 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/04/26 17:29
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