>リアルな学校の同級生でも気の合うやつもいれば、合わないやつもいる。>合わないやつと無理やりつき合って、無駄なストレスをためることなどない。>少人数であっても、自分にふさわしい相手と関係を深めることのほうがはるかに有意義だろう。
それはそうですね。しかし、それは外国語に不自由をしない人の話ですね。外国語に不自由している人は交際範囲を広めることは難しいです。広い外国に住んでいながら、日本人でごく限られた同国人としか交際しない人は珍しくありませんね。
>●海外で暮らすこと自体には意味がある >現地で暮らさなければ、外国語を習得できないというのも幻想だ。>何年も海外留学したところで、日本人同士つるんだせいでいつまでも外国語が上達しないなんて人はいくらでもいる。
それは本人の心がけ次第ですね。だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>いまならネット上の外国語学習コンテンツをひたすら使い込めば、読み書きでも会話でも実体験に近いかたちで吸収できる。
それは難しいでしょうね。母国語でならネットなしでも100発100中成功しますけれどもね。テレビで見る外国の光景と、外国旅行の実体験が同じ価値にならない様なものですね。
>海外で暮らすこと自体には、意味がある。>ずっと同じ場所にとどまるのではなく、行ったことのない場所に行き、そこで生活するのは貴重な経験だ。>日本の社会や文化についても、客観的な視点を持てるようになるだろう。>だが、その経験を得るために、高い費用を払って海外留学する必要があるとは思えない。
安くて同じ効果があるのなら誰しも海外留学などしませんね。CDで聴く音楽と、演奏会で聴く実体験は同じ価値があるとは思えませんね。現実直視は臨場感を伴い体験者の新たな考えを呼び起こす作用があります。
>違う土地に行って暮らしてみたいのなら、大学がどうのと言わず、さっさと出かければよいだけのことだ。
体験だけの問題ならそうなりますね。学問のしかたを知らない人は、世界中どこに行っても学問は成り立ちませんね。 非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。 自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。 意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。 わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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