2021年05月20日(木) 

 

 

>自信がないから、少しでも自分を賢く見せることに必死になっている私には、気軽な質問など無理な注文だった。 > そんな自分が恥を捨てて質問できるようになるには、それからさらに10年かかった。

 

年齢が低かったら環境への適応ももっと早いでしょうに。  

 

>いまなら、「何が分からないかも、分からない。>でもおっしゃることがどうも理解できない気がするんです」と自分の状態を直接口に出し、質問に結び付けていくこともできる。

 

あなたは進歩しましたね。

 

> 何かきっかけがあったわけではない。>もはや自分を取り繕うことに疲れてしまったのだ。>人生が有限であることを感じ始めると、人からアホだと思われる怖さより、本当に何も知らない怖さのほうが大きくなっていった。

 

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)  [無知の知]  'I know that I know nothing'.  

 

>もっと下世話に言えば、人目を気にして賢く振舞ってみても、結局他人にバレる、何の得にもならないことを遂に理解したのかもしれない。 > 「格好つけてどうする? > 昨日の自分より賢くなれればいいじゃないか!」と心から思い実践できるようになってからは、ずいぶん楽に生きられるようになった。 

 

そうですね。良かったですね。肩の荷が下りた感じですね。日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。         

我が国の政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っている。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

 

>■ 質問できるようになって芽生えた、相手の真意を汲み取ろうとする思考       

> いまだに少し緊張はするものの、質問できるようになってからは、人の話を聞く姿勢が劇的に変わっていった。 >かつては、話し手の一字一句に神経を研ぎ澄ませていた。 >質問する気もないから、何を言うか、内容だけにフォーカスして、ひたすらメモをとっていた。 

 

それは真面目な学生スタイルですね。   

 

 

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閲覧数219 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/05/20 08:08
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