>AERA dot. >「自由にしろと言われても困る」 思考停止に陥りがちなタイプと、彼らが人生を輝かす方法 >榎本博明 の意見 >•1 日 > 突然の休日に何をしていいかわからず、ただただ無為に時間が過ぎてしまうことはないだろうか。 >定年を迎えて、ぽっかり空いた時間に戸惑う人は少なくない。 >そんな人々はどうしたら生き生きした時間を過ごすことができるのか。 >心理学者の榎本博明氏が新著『60歳からめきめき元気になる人 「退職不安」を吹き飛ばす秘訣』(朝日新書)から一部抜粋、再編集し、紹介する。 >* * * >■自由にしていいと言われても、どう過ごしたらよいかわからない
そうですね。自由とは意思の自由の事である。しかし、日本人には意思が無い。だから自由そのものにも意味がない。 日本人には意思はないが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意は文にならないので意味も無い。その上恣意の自由は認められない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ としてどこの国でも許されない。そこで日本人は ‘不自由を常と思えば不足なし’ の生活を送っている。
> 自由がほしいと言っていた人も、退職して自由になると、せっかく手に入れた自由をもてあまし、暇でしようがない、毎日をどう過ごしたらよいかわからないなどと言い出す。 > 強制されると抵抗を示す人も、自由にやるように言われると戸惑う。 >それはじつによくあることだ。 >「言われた通りにやればいいんだ」などと言われるとモチベーションが下がってしまうと嘆く人に、「では、自分の思うように自由にやってくれればいい」と言うと、「いきなり自由にしろと言われても困る。 >どうすればいいのか教えてほしい」と言い出したりする。
そうですね。 ‘指示待ち人間’ の本性をあらわしますね。
> それと同じで、やらなければならないこと、必要なことだけして暮らすなんて虚しいと言う人も、自由にしていいとなると、どうしたらよいのかわからなくなる。 > とくに自分自身の欲求や気持ちを疎外して、組織の原理に則って行動するサラリーマン生活を長く続けてきた人は、自分自身の欲求や気持ちがつかめなくなっている。 >「自分が何をしたいのか、どんなふうに暮らしたいのかがわからない」「どうしたら自分が満足する生活になるのかわからない」というようなことになってしまう。 > もっとも、職業生活の真っ只中で、そうした自分の欲求や気持ちを始終意識していたら仕事にならない。 >そういう自意識を遮断しないと有能な働き手でいられない。 >その意味でも、自分自身の欲求や気持ちを疎外するのは、組織に適応するための有効な戦略だったのである。
そうですね。
> 組織からあてがわれた役割に徹していれば、無事に職務を果たせるし、それに見合った報酬が与えられる。 >自分なりの達成感も得られる。
そうですね。同調圧力のお陰ですね。
> だが、「毎日毎日ノルマ達成に追い立てられる生活なんて虚しい」「これが自分が思い描いていた人生だっただろうか」「もっと自分が納得できる生き方があるのではないか」などと、日々の仕事生活に疑問を抱いたりしたら、職務に邁進することができなくなる。 >ましてや、「うちの会社の商品は、ほんとうに人々の生活向上のためになっているのだろうか」「こんな営業活動をするよりも、もっと考えないといけないことがあるのではないか」などと考え込んでしまったら、組織にとって都合のいいコマとしての動きが鈍りかねない。
そうですね。雑念が仕事の邪魔になりますね。
> いわば組織への適応のために、ある面において思考停止に陥っていたのである。 >そんな状態が何十年も続いてきたわけだから、自分の欲求や気持ちがわからなくなっているのもやむを得ないことと言える。 >■過去に置き忘れてきたことはないか > 組織への適応のために、ある面において思考停止に陥りがちということは、組織人間としてうまくやっていた人ほど、その状態に陥っていたことになる。 > 組織生活への過剰適応によって、自分の欲求や気持ちが強く抑圧され、自分がわからなくなってしまうのである。
そうですね。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy.
> これからはもう稼ぎにこだわる必要もないし、組織に縛られることもない。 >そこで考えたいのは、稼ぐために犠牲にしてきたこと、断念したことは何かなかったかということである。
そうですね。思考停止はよくないですね。
> 若い頃、やりたいことがあったけど、それで食っていくのは無理だと思って諦めた。 > 興味があったし、やってみたいと思う趣味があったけど、仕事が忙しくてなかなか踏み出せなかった。 > かつては打ち込んでいた趣味があったのだが、働き盛りになってからは仕事で忙しくなり、休日はぐったり疲れてしまい、趣味どころではなかった。 > そのときの仕事よりやりがいのある仕事への転職のチャンスがあったのだが、収入が減るため、家族のことを考えて断念した。 > だれでもよく思い返してみれば、そのようなことが何か見つかるのではないか。
‘後悔先に立たず’ ですね。
> 若い頃から走るのが好きで、定時に帰宅できたときは近くの川辺をよくジョギングしていたが、これからは通勤もないので、体力維持のために毎日ジョギングをして、できればマラソン大会とかにも出てみたいという60代半ばで退職したばかりの人。 > 器用なほうで何かを自分の手で作るのが好きなのだけど、現役の頃は忙しくて家で何かする余裕がなかったので、退職後は、自分で家の内壁を崩して塗り替えたり、リビングの床を張り直したり、台所を改装したりと、DIYに凝って充実した時間を過ごしているという60代半ばの人。 > 仕事人間として暮らしながらも趣味人の生活に憧れをもっていたので、退職を機にテレビの俳句講座を視聴し、拙い俳句を詠むのが楽しくなり、昔の俳人の足取りをたどる旅行をしながら俳句を詠んだりして趣味人の生活を楽しんでいるという60代後半の人。 > 学生時代は山歩きが好きでよく出かけていたのに、就職してからはそんな暇もなく、たまに暇があっても気力が湧かず、遠ざかっていたけど、退職後に久しぶりに山歩きに出かけてみたら、その魅力に取り憑かれ、今は毎週いろんな山に出かけているという60代後半の人。 > 元々旅行好きで、現役の頃から毎年何回か旅行し、退職してからは時間も日程も自由になるので、より頻繁に行くようになったが、いつまで元気に出かけられるかわからないので、これからはもっと頻繁に旅行に出かけることに決めたという70歳になったばかりの人。 > いろんなことに興味をもち、やってみたいと思う性格だが、現役時代は忙しくて趣味に手を出す余裕がなく、淋しかったので、退職後は尺八教室や絵画教室をはじめ気になる習い事に片っ端から通い、暇をもてあますなどということはまったくなかったという80代の人。 > 何をして時間を潰したらよいかわからないという人は、こうした事例を参考に、稼ぎのためにできずにいたことを思い返してみてはどうだろうか。
そうですね。 過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。それには未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。しかし、それには無為無策でその日暮らしをしている日本人には望み無しである。 日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 ものを言ってもそれが行動には繋がらない。だから、結果的に ‘うそぶく’ 人ということになる。これが、相手に不信の念をいだかせる。考えがあり、その実現に強い意思を示すという手順がわが国には存在しない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されていたようです。このやりかたに習熟すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。未来を先取りしないから他人を唱道する人にはなれません。
>榎本博明 えのもと・ひろあき > 1955年東京都生まれ。 >心理学博士。 >東京大学教育心理学科卒業。 >東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。 >カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。 >『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。
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