2023年08月20日(日) 

 

>宗教をもたない野蛮な民族か(8月20日)   >福島民報社 の意見   >•   >11 時間   

> 近代のはじまりに、なぜ、日本という国だけがアジアのなかで唯一、欧米列強の植民地にならなかったのか。   

>この問いはおそらく、近代の黄昏[たそがれ]を生かされながら、日本文化のアイデンティティの再編を求められているわれわれにとって、とても魅力的なテーマではないか。   

 

そうですね。我々日本人は原始から近代への転換が費用ですね。       

 

> わたし [赤阪憲雄] は偏狭なナショナリズムには距離を置いてきた。   

 

あなたは島国根性に閉じこもっていないのですね。    

 

>日本が特殊な国であると言い立てるつもりはないし、いたずらに「日本の誇り」などを語りたいわけではない。   

>「クール・ジャパン」とか浮かれ騒いでおいて、その実、日本文化への敬意など持ち合わせない人々がたくさんいる。   

>だから、日本のアニメや漫画に溺れたり、夢中になったことがない頭でっかちの人たちに、日本文化の将来を託すことはできない、などと言ってみたくなる。   

 

日本人には本格的な文化 (culture) が無いから、下位の文化 (subculture) に力が入りますね。   

 

>アニメ映画には、われわれが大切に継承すべき文化や風景が繊細かつ愛[いと]おしげに描かれている。   

 

アニメは日本人の性に合っていますね。英米流の高等教育の内容とは対極の位置にありますね。      

 

> ところで、幕末・維新のころに日本を訪れた異邦人が残した紀行文に関心を覚えてきた。   

>それは読み物として面白いし、かれらの観察には教えられることが多い。  

>とりわけ、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』はお気に入りの一冊だ。   

>そこに描かれていた日本の宗教事情の報告にはそそられる。   

>われわれ自身が言語化できずにいる無意識の位相が、鮮やかに浮き彫りにされている。    

> バードは敬虔[けいけん]な国教会派の牧師の娘であったが、宣教師としての教化を任務としていたわけではない。   

>それでも、日本でキリスト教の普及を阻むものは何か、という問いを抱えていた。  

 

それは日本語文法の性格にありますね。    

 

>日本人はキリスト教の道徳観を心底嫌っている、と感じていた。   

 

それは正解でしょうね。日本人は罪には関係がないですね。      

 

>犠牲、原罪、永遠の命といったキリスト教の核心をなす観念にたいして、厳しい忌避感が示されることにも気づいていた。  

 

キリスト教の核心をなす観念は印欧語の文法と深く関係しているのではないでしょうか。印欧語の文法には時制 (tense) というものがあるので、非現実 (考え) のそれぞれが独立した三世界 (過去・現在・未来とか、前世・現世・来世とか) というものが考えられる。しかし、日本語には現実 (事実) しかない。         

 

> 日本人には原罪という観念がないから、キリスト教の教えがその人間観を変えるには長い時間が必要だ。  

 

文法に時制があると意思の表現が可能になる。意思のある人間には加害者意識がある。それが高じると罪の意識になる。このため病める魂の持ち主も現れる。だから、贖罪を目的とした宗教 (キリスト教) も必要になる。   

日本語文法には時制がなく、日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識もないなく、有るのは被害者意識のみである。これはアニマルも同じである。  

 

>血の贖[あがな]いの教えといったものは、あらゆる命への畏敬や慈愛を説いてきた仏教とは対極的であるし、神道にはそもそも来世に関する教えは見られない。  

 

日本語文法には時制がなく、日本人の脳裏には世界観が在りませんね。   

 

>仏教が約束するのは、輪廻[りんね]転生による終わることなき生と死の連鎖であった。   

 

輪廻転生はインド哲学であり、無哲学の日本人にはまともに考えられないことですね。    

 

>日本人は犠牲と永遠の命を拒んでいる、とバードは考えていたのである。   

 

それは正解でしょうね。   

 

> 西洋による植民地化は、つねにキリスト教の浸透・教化を伴うものであった。   

>いわば、日本人の宗教観がそこに大きく立ちはだかることを、バードは冷静に予感していたのだ。   

 

日本人の宗教は哲学 (スコラ哲学・インド哲学) の域には達していませんね。   

 

>欧米列強が日本を植民地として支配することに失敗した背景には、こうした「宗教戦争」の影が見え隠れしている。   

 

世界には印欧語族でない人達も多く住んでしますからね。印欧語族のよる支配は容易でないでしょうね。      

 

>日本人は無神論で、宗教をもたない「野蛮な」民族だと決めつけて、かれらは安堵[あんど]を得ようとした。  

 

無哲学の日本人の文化から哲学を探しても出て来ませんね。   

 

>しかし、日本人の多くは、唯一絶対の神をいただく宗教とは異なるが、豊かに宗教的な人々だと、わたしは信じている。   

 

それは見解の相違でしょうね。哲学に依らない神様たちも沢山存在しますね。それを哲学で理解しようとすれば挫折しますね。       

 

>震災後に被災地を訪ねる巡礼の日々に気づかされたことだ。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)           

 

>多神教的なもうひとつの宗教が、生と死の風景のなかに見え隠れしていた。   

>(赤坂憲雄 奥会津ミュージアム館長)   

 

 

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閲覧数138 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/08/20 22:38
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