>虐殺遺族「尊厳踏みにじられた」 各地で中国、朝鮮人ら追悼 >共同通信社 によるストーリー • >8 時間 > 100年前の関東大震災で虐殺された中国人や朝鮮人らの追悼行事が3日、東京都内や千葉県で開かれた。 >遺族らからは「尊厳が踏みにじられた」との無念さや、真相究明に後ろ向きな日本政府に「賠償と謝罪をした上で国同士の友好がある」との声が上がった。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識もない。もちろん罪の意識はない。あるのは被害者意識ばかりである。 天真爛漫な日本人に謝罪を求めるのは自虐の勧めと受け止められている。幼子に謝罪を強要するようなものかもしれない。 日本人に加害の歴史はない。謝罪の勧めに対する日本人の反発は必至である。だから国同士の友好がまともにならない。 戦後のアメリカのWGIPが失敗したようなものである。日本人の逆恨みを受けて終りになる。 これを何とかしなくてはならない。ことはわが国の国益に関することである。日本人の信用にかかわる事柄である。自分達の加害の歴史を学ぶことは今一番大切な教育の一つである。
> 中国人労働者を援助していた王希天が軍隊に殺害された東京都江東区の逆井橋のたもとには、遺影と花が供えられ、訪れた中国人犠牲者の遺族十数人が黙とうした。
ご冥福を祈ります。
> 高祖父を亡くした邱ユウ峰さん(22)は「王や同胞の被害は今もすすがれていない」との王の孫・王旗さんのメッセージを代読した。
我が国は人間の尊厳を踏みにじる国でないことを政府が先に立って示すべきである。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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