>現代ビジネス >日本人が気づいていない…地方の「選挙現場」を見てわかった「日本政治」の大問題一票の格差と民主主義のデザイン >白鳥浩によるストーリー >・5時間 >異例だった国政選挙 >2023年10月22日に、徳島・高知の参議院補選と長崎4区の衆議院補選という、衆参の二つの補選が行われた。 >こうした補欠選挙は、同日に複数の異なる場所で投票が行われるために、結果が政権に対する評価に直結する「プチ総選挙」としての側面も持つ。 >さらに今回は、実に21年ぶりとなる国会開会中の異例の国政選挙でもあった。 >かつて長崎県立大学に勤務していた筆者は、1998年に金子原二郎氏が衆議院議員を辞職して、長崎県知事選に挑戦して以来、長崎4区を取材してきた。 >当時の分析結果は『都市対地方の日本政治』(芦書房)にまとめたが、 20年前の金子氏から続く政治家たちの関係性が現在まで尾を引いているということが、如実に表れている。 >さて、今回の選挙結果としては、徳島高知の参院補選は、野党系無所属候補の広田一氏の勝利に終わり、長崎4区の衆院補選は、前出の原二郎氏の息子で政治家一家の三代目となる、自民公認候補の金子容三氏の勝利に終わった。 >自民党にとっては、「一勝一敗」の結果と言える。 >この選挙は、9月13日の内閣改造により発足した第二次岸田改造内閣にとってはじめての国政選挙となり、その結果はこれまで2年間、政権を維持してきた岸田首相への現時点での中間評価を表すものであった。 >またこのところあえて「年内解散」を予想する向きもあったが、短期的に見ればこの選挙の結果は、岸田首相が模索する年内総選挙のタイミングをはかるという意味もある。 >この選挙が二勝であれば解散に弾みがつき、逆に二連敗であれば、年内に解散しても結果は絶望的という点で、岸田首相の解散戦略に大きく影響を与えるものと考えられた。 >それほど現代日本政治にとって重要な選挙だったのである。 (略) >関係修復を見せつけた自公 >こうした対立候補の選挙戦略に対して、与党候補はどう戦っていただろうか。 >徳島・高知選挙区の西内氏も、対立候補の広田氏と同様に広すぎる「合区」選挙区の中で、県によって戦い方を変えていた。 >高知においては、徹底して「殴打事件で辞めた前議員とは異なり、西内は信頼できる候補者です!」といったかたちで、高知県議として一定の知名度がある西内氏「個人」を際立たせる作戦に出ていた。 >逆に徳島においては、全く知名度がないために「与党」の候補としてのイメージを浸透させるという戦略を採っていたと考えられる。 >これは10月14日に、岸田首相と公明党の山口代表がそろって高知、徳島を訪問した際の街頭演説の違いに表れている。 >高知では「西内」という「個人名」の垂れ幕が掲示されているのに対して、徳島では「自民党」という垂れ幕となっている。 >いや、むしろ西内氏の選挙は、徳島・高知の有権者に向けてアピールするだけでなく「自公が関係を修復したことを全国にアピールするための格好の機会」として利用されていた側面もあったといってよい。 >特に岸田首相と山口代表がそろって街宣車の上に並んでいる姿をみせつけることは、両県のみならず全国に影響を与えるものであった。 >同じく選挙戦とは直接関係のないアピールは、岸田首相が翌15日に訪問した長崎4区においても行われている。 >長崎では「金子ブランド」への一定の支持はあるものの、北村派、金子派の分断が気がかりであった。 >特に北村氏と金子原二郎氏はともに岸田派の宏池会に属したこともあり、この長崎4区はいわば「宏池会の牙城」といってもよい。 >その選挙区を落としてしまっては、岸田政権に対する直接のダメージとなってしまう可能性がある。 >岸田首相としては、北村支持者と金子支持者との分断を何とかして修復する必要があった。 >そこで岸田首相は北村氏の眠る教会を訪問して墓参することで、この長崎4区補選を「北村氏の弔い合戦」として再定義し、分断を修復する作戦に出たのであった。 >そして、選挙期間中に新たに就任した小渕優子選対委員長を、最終日も含めて2回も長崎に投入することで、関係修復、そして公明票の獲得に努めることとなった。 >小渕氏の父であった小渕恵三氏は、現在まで24年続く「自公連立政権」を最初に構築した人物である。 >そのため公明支持者の中には、小渕氏に対する一定の支持もある。 >また対立候補の末次氏の政治の師である小沢氏は、自自公連立であった小渕政権から自由党を離脱させており、小渕元首相はその直後に倒れている。 >そうした意味では小渕氏にとっても、就任直後の国政選挙ということに加えて、「父親の敵討ち」という意味が、この長崎4区の補選にはあったとも考えられる。 >金子氏は生月など地方部では有利であるため、都市部、特に大票田の佐世保における無党派層をある程度取り込めれば、勝利は見えてくる。 >そこで自民党としては、公明票の獲得と自民票の一本化に力を尽くすこととなった。 >日本政治の「大問題」が明らかに >結果として、参院徳島・高知選挙区では、与党候補の敗北となり、それとは対照的に衆院長崎4区では、与党候補が勝利した。 >この選挙では、日本政治の多くの課題が浮き彫りになった。 >まず、第一に、徳島・高知では「合区」による選挙の課題が明らかとなった。 >投票率が2つの県で大きく異なるのである。 >今回の補選の投票率は、徳島県で23.92%、高知県では40.75%で、参院選の投票率としては戦後最低の数字を記録してしまった。 >同じ選挙区にもかかわらず、徳島県の投票率が高知県の半分ほどしかない――こうした事態を招いた「合区」は、日本の民主主義にとって好ましい制度といえるのだろうか。
徳島県と高知県は投票率が同じでなければいけないのでしょうかね。一票の格差のだけが是正の対象になっていたのではありませんか。
>生活圏も文化も異なる2つの県を、単に数的な「一票の格差」を是正するために「合区」とまとめることで、今回のように一方の県に候補者が集中してしまえば、もう一方の県においては、有権者の関心が著しく低下してしまう。 >これは今後の日本の「民主主義のデザイン」、ひいては「血の通った有権者の生活」に関わる問題であり、参院の「一票の格差」が「3倍以内なら合憲」というような「単なる数合わせ」とは異なる。
単なる数合わせも難しい状態にありますね。
>ただの補選に見えて、実は大きな問題を提起しているといってよい。 >また、もしこの先2つの県で結果が異なったら、どうするのだろうか。 >例えば高知では与党の候補、徳島では野党の候補が圧勝したものの、投票率が高知の方がはるかに高ければ、徳島の選挙結果は高知に覆されてしまう。
民主主義はあくまでも選挙区内での多数支配ですね。
>「ある県の民意が、他の県の民意によって踏みにじられる」という可能性のある合区の制度は、従来とは異なる「一票の格差」を生み出していく可能性があるのではないだろうか。
合区では合区内での多数支配が民主主義ですね。
>また、候補者の側にも、選挙区が広すぎるため、自分の訴えが有権者に十分に伝わっているのか懸念はあるだろう。 >そして、第二に、長崎4区の衆院補選は、「10増10減」により、地方の議席が減少することの課題を提起している。
それは人口が地方から都市な移動するからですね。
>そもそも衆院の「一票の格差」は「2倍以内であれば合憲」というメッセージを司法が発した結果、地方の議席は減少する一方で都市の議席は増えていき、地方の有権者の様々な課題が表面化されにくくなっていくという側面はあるだろう。 >「地方の過疎化」と「都市の過密化」という、現実の社会的な動態を単に後追いした結果、議員の数が都市に偏重するということになれば、地方の過疎化の解消に本気で取り組む議員は出てこないだろう。
都市の過密化の解消に本気で取り組む議員は出て来るでしょうかね。
>そして、長崎4区で見られたように、次の衆院選からは拡大した新「長崎3区」で選挙が行われることが予定されていると、本来であれば長崎4区の補選であるべきはずが、さも新「長崎3区」での選前哨戦という位置づけになってしまう。
それは時代の推移ですね。
>それはふたたび「民主主義のデザイン」の問題を提起することとなる。
それでも選挙区内の多数支配は揺るぎませんね。
>長崎4区補選で当選した議員による政策が、これから新たに新「長崎3区」に編入される地域に影響を与えるにもかかわらず、編入される側の住民の民意は今回の補選には反映されない。 >そうした民主主義のジレンマが露呈した選挙だった。 >そういった視点から眺めるならば、この2つの補選は、単に「岸田政権の解散戦略に影響を与える」とか、自民党の「一強多弱状態を有権者に問う」とか、あるいは今後の連立政権での「自公の関係修復の一つの機会」となった、というような短期的な側面だけではなく、より長期的に影響を及ぼす日本政治の代表制にまつわる課題を提起しているといっても良いだろう。
一強多弱状態は問題ですね。これではわが国の政権交代は行われませんね。政権のたらい回ししか考えられない。自己の政治哲学がないので議員たちが序列を作って派閥政治を行う。政治哲学がなければ昔ながらの派閥による協力しか考えられない。わが国の政治の停滞の原因ですね。これは民主主義のデザインの問題にはなりませんですかね。
>後世に振り返れば、こうした代表制の問題、いいかえれば「民主主義のデザイン」をどのように考えていくのか、という課題を突き付けた選挙だったと評価されるのではないだろうか。
無哲学・能天気のわが国民に政治哲学による真の民主主義は難しいですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設にも協力することが可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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