>現代ビジネス >60年安保闘争が「本当に反対したもの」 >池上彰によるストーリー >・2時間 >1960年代には学生運動が盛り上がりました。 >その中でも、今も語り継がれる「60年安保闘争」とは何だったのか。 >当時の人々は、何に、なぜ、怒り起ち上がったのか。 >池上彰氏が解き明かします。 >【※本記事は、池上彰『昭和の青春 日本を動かした世代の原動力』(11月16日発売)から抜粋・編集したものです。】 >デモに起ちあがった人たちが「守ろうとしたもの」 >第二次世界大戦が敗戦に終わった日本は51年のサンフランシスコ講和会議で、アメリカをはじめとする連合国48ヵ国との間で平和条約を結びました。 >これにより連合国の占領は終結し、日本は独立国家として主権を回復しました。 >この際にアメリカ軍の駐留を引き続き可能にし、日本に対する武力攻撃を阻止する目的で日米安全保障条約が締結されたのですが、内容にはさまざまな問題がありました。 >何しろアメリカ軍は日本に駐留はするが日本を守る義務がなく、日本国内で暴動や内乱が発生して政府が鎮圧できなかった場合、アメリカ軍が介入できる代物だったのです。 >アメリカ軍がその気になれば日本の反政府運動を武力でつぶせる、というわけです。 >この不平等な安保条約を対等にしようと動いたのが岸信介首相で、60年に改定されました。 >これで内乱条項が撤廃されてアメリカ軍は日本の反政府運動を抑えることができなくなるとともに、日本を防衛する義務が明確化されました。 >客観的に見れば、改定された安保条約は日米関係を対等にしようとする内容でした。 >それもあってか国会で安保改定に関する審議がはじまったときは、あまり関心を持たれていません。 >安保反対闘争は社会党が主体となって行われましたが、当初はまったく盛り上がりませんでした。 >社会党の支持団体だった総評(日本労働組合総評議会)という労働組合団体に働きかけても、なかなか人が集まらなかったのです。 >なお、共産党はその頃、衆議院に1議席しかありませんでした。 >同党は戦後、どんどん議席数を伸ばしていたのですが、党内の所感派という勢力がソ連共産党に「日本で武力革命を起こせ」と言われ、あちこちで交番に火炎瓶を投げ込んだりしたため「共産党は恐い」というイメージができあがり、一般からの支持を失っていました。 >この暴力革命路線は55年の日本共産党第6回全国協議会で撤回されますが、当時の衆議院に共産党議員は1人しかいませんでした。 >風向きが変わったのは、岸首相が衆議院で条約批准の強行採決を行ったときです。 >日米安保条約という国際条約を締結するには、両国がそれぞれ議会で批准する必要があります。 >6月にアイゼンハワー米大統領が来日する前に何が何でも国会で批准しなければならないと焦った自民党は衆議院に警官隊を導入し、議場の前に座り込んで反対していた社会党の議員をごぼう抜きに排除し、自民党議員だけで条約批准を強行採決しました。 >60年5月19日のことです。 >本来、国会は立法機関なので、行政機関である警察は手を出せません。 >だから国会の警備は衛視という立法機関の警察のような人たちが行っているのですが、自民党は警官隊を使ったのです。 >しかも衆議院で可決されれば参議院を開かなくても30日後には自然成立します。 >それを狙って岸首相は衆議院で強行採決を行いました。 >これら一連の強権的な出来事に対し、多くの人たちが「民主主義の危機である」と憤ったのです。
岸首相は強権の権化でしたね。民主主義の理解が足りなかったのですね。
>この時は第二次世界大戦終結からまだ15年しか経過していません。 >ようやく日本も民主化されたと思っていたのに、逆行するような事件が議会で起こってしまった。 >その危機意識からみんなで民主主義を守れといって、全国からデモ参加者が国会議事堂の周りに集まったのです。 >世の中から大きな反発を受けた要因として、岸首相の経歴もありました。 >岸首相は戦時中、東条英機内閣で商工大臣を務め、敗戦後はA級戦犯容疑で勾留され公職追放されています(52年解除)。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>旧体制側にいた人物である岸首相が国会に警官隊を導入し、批准に反対する議員を力ずくで排除したことは、時代を戦前に逆戻りさせるような印象を国民に与えました。
岸首相はアメリカ人からも日本人からも信頼されていなかったのですね。彼は教養も無く世間を泳いで渡る泳法のみを心得ていたのですかね。
>また、アメリカ軍の日本駐留が恒久的になると、53年に休戦となっていた朝鮮戦争が再発して、日本も巻き込まれるのではないかとの不安もありました。 >* >あの熱い時代「昭和」とは何だったのか。 >学生運動、高度経済成長、新たな文化、繁栄の「陰」… >1950(昭和25)年生まれの池上彰氏が実体験をまじえて解き明かす! >池上彰『昭和の青春 日本を動かした世代の原動力』は11月16日発売です!
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