>日刊スポーツ >小沢一郎氏、日本の幸福度55位に下落をうけて「『楽しい日本』どころの騒ぎではない」と警鐘 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >6時間・ >立憲民主党の小沢一郎衆院議員が5日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。 >日本の「幸福度」が下落した件に言及し、私見をつづった。 >小沢氏は、国連関連団体が発表した、2025年の「世界幸福度報告書」において、日本の幸福度が55位だったことを報じる記事を添付。 >同報告書によると、日本の順位は前年から4つ順位が下落し、首位はフィンランドだった。 >小沢氏はこれをうけ「石破総理が主張する『楽しい日本』どころの騒ぎではない。 >もはや幸福感を感じられない国になっている。
小沢氏には幸福感を上昇させる良案があるのでしょうかね。
>自民党の政治腐敗も影響という分析。 >結局は政治。 >利権ではなく、国民の生活を第一に考える政治へと変えるべき」と述べた。
具体的にはどうしたら良いのでしょうかね。
>この投稿に対し「政治がでたらめだから」「楽しい日本だと思ってる人、今の自民党でいるのかな?w」「生活の圧迫感だけが増殖し、『和』は分断され、かつて根底にあったはずの日本に暮らす幸福感はもうない」などとさまざまな声が寄せられている。
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
|