



>AERABooks >「論壇を見ていても、もはや論争とは呼べない」 日本社会から“理想”が失われ「動物的対応」に成り下がったワケ 『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』#3 >片山杜秀 >2026/06/23/ 07:00
> 戦前から戦後、そして高度成長期まで、日本の言論空間は激しい論争に支えられてきました。
>冷戦構造の崩壊以降、その風景は一変。
>イデオロギーの対立が後退し、「共生」が叫ばれる時代に何が失われたのでしょうか。
>論争なき社会の現在地を、慶應義塾大学法学部教授・片山杜秀氏と気鋭の政治学者・田中駿介氏が語り合った最新刊『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』(朝日新書)から、一部を抜粋・再編集してお届けします。
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>「論争」がなくなった社会
>田中 論争自体が終焉した気もします。
>先日、神保町の古本屋で論争特集「昭和論争全史」が載っている雑誌『流動』(1979年1月特別号)を買いました。
>戦前から1970年代まで収録されていて、有名な「日本資本主義論争」も入っていますが、今なら忘れ去られてしまったテーマがほとんどです。
> 現在、インターネット上での論争というか、意見のやり取りはあるでしょうが、その多くはイデオロギーの問題とは言いにくいように思います。
>いわゆる論壇を見ていても、もはや論争とは呼べない。
>主張はあっても、相互に応答するということが、今はほとんど見受けられない印象です。
>片山 論争がなくなるのは、やはり冷戦構造の崩壊と関係しているでしょう。
>マルクス主義が機能していたかどうかがやはり大きい。
>文学でも演劇でも音楽でも論争でしょう。
>共生とか価値観の多様化とかが叫ばれるというのは、論争をなくすということですよね。
そうですね。
>資本主義を否定するマルクス主義が幅を利かせていると、共生できないから、お互いがお互いを潰しに行く。
>観念論か唯物論か。
>やはりどっちなのかということになる。
>だから昭和までは論争とその整理がすごく重要でした。
>資本主義か社会主義か、それがグローバル化を求めて争っている時代は人類全体を巻き込むわけだから。
>局外中立というわけにもゆかない。
>そうすると本気の論争をしないといけない。
>でも政策とか処方箋とかの水準ですと、あっちはこうやる、こっちはこうやる、ああそうですか、参考にします。
>それで済む。
>喧嘩を売りに行く必要もない。
>たとえば吉本隆明と大江健三郎の反核論争だと、人類滅亡戦争の話だから。
>みんな巻き込まれますよ。
>でも原発事故だと地域でしょう。
>文明観の問題までもちろん行くけれど、福島の原発事故は西日本だと縁遠いと思う。
>差し迫らない人が多いから当事者の問題に縮減してゆく。
>公害でも地域でしょう。
>地球環境問題は全体だけれど。
>冷戦の終結が人類全体の運命を考える習慣を広く失わせて、国や地域の勝手な論理を再興させ、平和的な共生の論理も広がってゆくようになった。
>それはけっこうな面も大きいけれど、あらゆる次元で内向きになってくる。
そうですね。神は死んだ。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>外向きの顔と内向きの顔も乖離してくる。
内面・外面ですね。臨機応変ですね。
>昭和の終わった89年に奇しくも起こった冷戦の終結のあとが結局今日の起点なのでしょう。
>90年代以降が問題です。
>田中 90年代には知識人の役割が少し変わったと思います。
>やはり湾岸戦争が大きかったのではないでしょうか。
>左は、たとえば柄谷(行人)氏で、湾岸戦争反対を論じた。
>右は、たとえば坂本多加雄氏で、その逆の論陣を張りました。
>ただしそれは、反核論争とか転向論争といった論争の時代背景以上に、それこそ現実の政治に極端に対応した議論でした。
>冷戦の崩壊と湾岸戦争を境にそういう時代になっていったと感じます。
>片山 日本が二大政党制を目指したのもそのタイミングでしょう。
>観念を優先させるのではなく現実に対応して政策論争をする二つの非革新の大政党があればよいと。
それは、日本人の得意な現実肯定主義ですね。観念は非現実ですからね。
>以来、理想や大局観、いや、もっとシンプルにこだわりでもいいですが、そういうものが失われて、ついに目の前の現実に動物的対応をするところまで成り下がってきたように、日本の政治を長期的に振り返ると感ずるのですが。
わが国には何でも (現実) あるが、ただ夢と希望 (非現実) だけがない。
>田中 日本共産党がウクライナ戦争に関して「自衛隊活用論」を言い出したことも印象的でした。
>この議論自体の根拠は、2000年11月の党大会決議によるものですが。
> その意味では、一時、世間を騒がせた除名問題も、本質的には論争ではなかったと思います。
>共産党本体は「野党連合政権、国民連合政府を実現するうえでは、日米安保の即廃止を求めない」などと言っています。
>つまり、除名理由はある面では日米安保存続をめぐる政策の差異にあるのではありません。
>だからあれは論争ではなくて、どうしても「内輪もめ」的な性格として受け止める人も多かったのではないでしょうか。
> 共産党と同じようにどの政党も、もはや大きな物語、この社会をどういうふうに設計していくかという大きな代替案を、ほとんど持てなくなっているのではないでしょうか。
そうですね。日本人には世界観がないですからね。日本人には現実があって非現実がない。一寸先は闇で設計できない。
>(朝日新書『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』から抜粋・再編集)
>■朝日新書『国家が戦争に向かうとき 昭和10年代に回帰する日本の現在地』
> 戦争・テロ・天皇・民主主義……戦後秩序が崩れつつある今、歴史からどのような教訓をくみとるべきか。
>右傾化は何を意味するのか。
>そして閉塞感を打開する策はあるのか。
日本人には意思がない。だが、意思のある所に方法がある。Where there’s a will, there’s a way.
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>この国が陥っている過ちの元凶を、政治思想の大家と気鋭の政治学者が読み解いた一冊。
>片山杜秀(かたやま・もりひで)
>1963年宮城県仙台市生まれ。
>政治思想史研究者、音楽評論家。
>慶應義塾大学法学部教授。
>慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。
>著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、吉田秀和賞・サントリー学芸賞)、『未完のファシズム──「持たざる国」日本の運命』(新潮社、司馬遼太郎賞)、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)など。
>田中駿介(たなか・しゅんすけ)
>1997年北海道旭川市生まれ。
>東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。
>博士(学術)。
>2026年5月より、東京大学大学院総合文化研究科学術研究員に着任。
>専門は戦後日本政治学史。
>成城大学、駒澤大学などで政治学の非常勤講師を務めている。
>最近の業績として、「「市民の政治学」の二つの源流」『政治思想研究』第26号にて、政治思想学会研究奨励賞受賞。



