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意思は未来時制の文章内容であり、日本語には時制がない。だから、日本人には意思がない。 自由とは、意思の自由であり、責任とは意思を自由に働かして物事に対処する事である。 日本人には、意思がないから、自由にも責任にも関係がない。我が国は現代社会になれないのか。 自分が相手の意思を求めることもなく、相手から自分が意思を求められることもない。 意思は各人で違っているが、わが国には意思に関する個人主義がない。 意思のある所に方法があるが、無意思の社会であっては、人類に広く影響を及ぼす個人は育たない。 人間に'とらえどころ' がない。'とらえどころ' と … [続きを読む] |
マッカーサが国内に住んでいたころの我が国と、今の日本では国内情勢も違うし、国際情勢も違う。だから、憲法の内容も変えられて然るべきである。前文の哲学は変える必要がないかもしれないが、憲法の各条文は現実対応策であるから、現実が変われば、その対応策も変わって然るべきであろう。 そう考えると、今回は、'憲法という本を正さずして安保法制という末に走り、その場しのぎと偽善に陥る' ものであろう。 目の前の変化には強く囚われるが、その奥にある 'あるべき姿' には無頓着である。軽薄ということか。 相手の意見を勝手に解釈する癖がついていたのでは、国際政治 … [続きを読む] |
・>歴史を調べると、太平洋戦争を始めた人達の中に、日本が勝つと思っていた人はほとんどいなかった。 ・>山本五十六元帥を始め幹部達は半年、長くても1年戦うのが限界だと考えていた。 ・>そして半年や1年の戦争で勝てるとは誰も思っていなかった。 自分さえ善ければの思いで舞い上がる。'有るべき姿' との比較がない。唯我独尊体制である。国粋主義か。 力は正義である。力不足であれば、自ら不義を証明することになるので細心の注意が必要である。 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。 「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号 … [続きを読む] |
・>一昨年末の安倍首相による靖国神社参拝については米政府も「失望」を表明し、アジアのみならずEU諸国やロシアまで批判的な態度表明を行い、日本は完全に国際社会で孤立しました。 ・>首相談話の内容いかんでは、同じことが繰り返されるにちがいありません。それは、談話を出すのが、「ナショナリストとして知られ」、その発言によって「日本帝国の他のアジアの国々への侵略や虐待を否定する歴史修正主義的視点を持っている」ことが海外にまで広く知れ渡っている安倍首相だからです。 人は心でつかむもの。腹の探り合いに熱中していてはいけない。意思は心の中に住ん … [続きを読む] |
・> 「、、、、、丸山は日本の天皇制や軍国主義など第2次世界戦直後、知識人があえて触れなかった部分を優れた洞察力で分析した学者だ。 丸山真男 (1914-1996)は日本の恥部に探りを入れたか。 ・>彼は敗戦後、誰も責任を取らない日本の指導者と社会を痛烈に批判した。戦争のため大勢の人々が死亡し、社会・経済的にも大きな被害があったからだ。 'とかく、この世は無責任' ということか。意思のない日本人には、責任も有りませんからね。 個人の意思を認めない社会には、被害者意識を持つ者はいても、加害者意識 (罪の意識)を持つものはいない。 ・>しかしどの知識 … [続きを読む] |
日本人には意思がない。 意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。 だから、日本人には自律意思がない。 優柔不断・意志薄弱に見える。 意思があれば、加害者意識 (罪の意識) も湧いてくる。 意思がなければ、加害者意識は強くない。アニマルのようなものか。 だが、被害者意識だけはある。謝罪がなければ恨みを生ずる。これが、実に恨めしい。 罪の意識がなければ、謝罪もない。謝罪があれば、それは自虐となる。 恨みを避けるために我々は供養をする。 英語には時制がある。 時制のある文章内容は、非現実である。 だから、文章の内容も個人個人で違っている。個 … [続きを読む] |
聖書は神の教え。論語は孔子の教え。新憲法はマッカーサの教え。それぞれ、キリスト教・儒教・九条教の原点となっている。いくら新憲法は自分たちの憲法であるとは言え、原典の内容を書き換えることは、無哲学・能天気の日本人にはできそうにない。与えられる事は喜ぶが、自ら生み出す力に欠けている。だから、文章の内容が現実に合わなくなれば、勝手な解釈をする。すると、違憲は合憲に見えてくる。ノーはイエスに見えてくる。 都合が良い。日本人のご都合主義が発揮される。言語・文章では、行動の歯止めがかからない。日本人が、かねてから恐れていたことが起こってしま … [続きを読む] |
君が代の歌詞への否定的意見 >・大日本帝国時代の国歌であり、歌詞は天皇崇拝の意味合いが強い(「君」は天皇を指すため) >・(「天皇の治世」という意味の国歌は)天皇が絶対的権力者だった大日本帝国憲法には相応と言えても主権在民の現憲法にはふさわしくない イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本教徒>の中で、反論はできるが、自己主張はできない日本人について次の様に述べています。 、、、、だが彼 [ハビヤン] は常に、その「破棄した部分」しか口にせず、その「内なる自らの基準」は明示していないのである。これは、、、、、今の日本人も同じであって、「反 … [続きを読む] |
私が国民学校に入学したのは、昭和19年の春だった。当時、私達は先生から '日本人は、世界一優秀な民族だ' と教えられた。それから、まもなく敗戦となって、今度は先生から '日本人は4等国民だ' と告げられた。上がったり・下がったりで、国粋主義 (超国家主義) に見事失敗したのである。 … [続きを読む] |
言語に時制がなければ、脳裏に三世界ができない。過去・現在・未来の内容が設定できない。 あなたの今の世界はこのようで、次の世界はどうになるの。 次の世界に関するあなた自身の発想がなければ、'まだか、まだか、まだか' という態度になる。一寸先は闇。やってみなければわからない。成ってみなければわからない。洞察力のない近視眼では、意思決定はとん挫する。 日本人の世は、夢・幻のごとくになる。方向性を失う。ヤッポン、ヤッポン、ヤッポンポンポン、、、、、。 総論賛成・各論反対では困る。 小異を捨てて、大同につかなくてはならない。 自分の選挙区で自分が当 … [続きを読む] |
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