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2008年05月17日(土) 



日本語には、時制がないから、現実構文はあっても未来構文はない。
感情表現は「今ある姿」であり、現実構文(現在構文)の内容である。
考えは「あるべき姿」であり、未来構文の内容である。
考えは、哲学者により追求される。
日本人には、個人に考えはなく、個人の感情だけがある。
感情は、歌詠みにより表現される。
わが国では、個人の感情が、あたかも理論のように用いられている。
この状況が、日本人の大切な議論を破壊する。
教育があって、教養なしの状態を作り出す。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束する『何か』があるという証拠であって、その『何か』は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配しているなんらかの基準のはずだからである。」と書いている。

その『何か』は、気分・雰囲気である。日本人は、気分・雰囲気に酔い易いからである。英米人の基準は、未来構文の内容であるが、現実構文の内容しか持たない日本人は、その基準を現実の中に求める。細かいデータ、すなわち明確の根拠は、未来の予測のために使われるべきもので、日本語の議論では未来の予測は不確かなものである。だから、それらは、現実の世界では説得力を持たない。しかし、その場の気分・雰囲気は現実構文の内容となって説得力を持ち、あらゆる議論や主張を超えて日本人を拘束する。大和の出撃に関する議論の場でも、ベテランたちは実質的な歌詠みの会を開いていたのである。
907文字


Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.

沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins



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閲覧数850 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/05/17 08:24
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