目の前のことは、大切である。目の前を良く見て車の運転をしなければ、交通事故は避けられない。
だが、当面のことばかりに気を取られていては、ナウな感じのするその日暮らしの生活は避けられない。
我が国には何でもあるが、ただ希望だけがない。この国を覆う閉塞感の暗雲を取り除く必要がある。
人生には、遠い未来のことを考える時間も必要である。
そして、未来の内容を考えるには、未来構文が必要である。
日本語には時制がないので、いうなれば、現実構文ばかりの言語である。
だから、日本語は、ナウな感じのするその日暮らしの生活の源でもある。
感性の内容は感覚器を通して得られる。だから、実感がある。子供でもわかる。誰にでも信じられる。
理性の内容は、感覚器を通して得られない。だから、実感がない。子供にはその理解が難しい。
原爆で死んだ人の数は、目で見ればわかる。だから、日本人は原爆の威力を見て戦争をやめた。
もしも戦争をやめることなく続けた場合の死ぬ人の数は、目で見てもわからない。
「理屈などは、どうでも良い。現実を見ればわかる。」という人には思慮がない。歌詠みには、その限界がある。
だから、我が国の伝統的な教育を改革することには意義がある。理性判断なくして生きる力を育むことは難しい。
アメリカ人のフランク・ギブニーは、自著 <人は城、人は石垣> の中で、「英語を使うのは絶えず論理的な価値判断を行う言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。」と述べている。だから、同じ原爆に対する評価も日本人と英米人では質的に違ったものになる。我々には、国際的な理解の可能性を探る必要がある。
何故、英語が絶えず論理的な価値判断を行う言語であるかといえば、次元の違った二通りの文章 (たとえば現在構文と未来構文の内容) を並べて、その優劣を判断できるからである。現実構文である日本語で考えると、全ては事実のみであるはずで、個人構想・内容の優劣を判断できない。
837文字
Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.
沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
.