私の高校時代の社会学の教科書には、「物言えば、唇寒し秋の風」という俳句を引用して、我が国の封建時代の言論の自由のなさを説明していた。
西洋のように異端者を火あぶりの刑に処したことはないが、我が国の為政者は住民を十字架にかけて殺した。歴史的なことばかりでなく、今日でも、誰も知らぬ間に何者かに頚動脈をかき切られて暗殺されたり、ライフル銃で頭に風穴を開けられて殺されることは、何処の国でもありうることであろう。同じ宗教に属していても所属する会派が違えば、お互いに殺し合いをしなければならない国もある。
私の妻は、「そのようなことを書くと、自分に良いことはありませんよ」と忠告してくれる。
原爆の被害は悲惨である。日本人は、ただ熱心にそれを歌にして詠む。それが人間に与えられた義務であると考えているからであろう。
必勝祈願しても、我が国はアメリカに勝てなかったのであるから、日本人の精神主義も当てにはならず、言霊の効果も期待できない。
我々には、戦争状態を平和な現実に導く具体的な道筋が必要である。
経済力を背景にした軍拡競争は、ついにベルリンの壁を崩した。核の超大国となり核戦争の脅威を明らかにすることも、その答えの一つである。
日本人が悲惨さを説明しなくとも、各国の政治家たちは、その馬鹿さ加減をよく理解できているはずだ。さすが軍国主義の日本人も、原爆の威力を見て戦争をやめた。
今不足しているものは、核兵器の威力による精神的重圧である。核爆発の悲惨さは子供にも理解できるが、核兵器の威力による精神的な重圧は子供には理解できない。威力は理性により捉えられ、悲惨は感性により捉えられる内容である。
世界平和への道筋が見つかったら、各国の首脳に理性に訴える圧力をかけて、現実を世界平和の方向に動かすことができる。経済大国の我が国には、その可能性がある。
我々には、世界平和への強烈な圧力手段を持つ道筋を組織的に探求する努力をしなければならない。そして、現実の圧力を実行に移す固い決意をすることが必要である。
いずれにしても、平和念仏主義では、現実は動かない。
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Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.
沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
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