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7月の月刊誌「文芸春秋」に「いま日本人に必要な『教養』とは何か」と言うテーマでの対談記事がありました。 その中に「江戸時代にも『教養』という言葉が使われていて、静岡県の掛川藩に、その名も『教養館』という藩校がありました。」と言っており、これを見て、驚きと嬉しさで、この文節を何度も読み返した次第です。 「教養」という言葉が掛川から発信されたという喜びを確信したく、「掛川市史」を見ましたら、掛川藩主・太田資愛(すけちか)は、掛川城内の北門の側に藩校を創設し「教養館」と称したとありました。 藩主・太田資愛は「昌平黌(しょうへいこう)」(東京大学の前身)に在籍していた松崎慊堂(こうどう)を召し抱え、江戸の上屋敷に学館を設けた。 そして、1805年に掛川の地でも教育が始まり、北門近くに藩校「北門書院」が建てられた。 この時、松ヶ岡4代目 山崎万右衛門から財政援助があったといわれています。藩校はのちに、文学・武芸の諸場を総称して「教養館」と呼ばれるようになり、生徒数は200人で、藩臣の子弟が主に学んだが、一部には農商家の子弟も入学を許されていた。 建物は全体で458坪、敷地が1509坪と5万石の大名の藩校としては大変大きな規模であったといわれております。 これからは、先人が培ってきたこの「教養」豊かな風土をしっかり継承するとともにグローバル化の更なる進展に対応できる有為な人材を育てる「ニュー教養館」についても検討していきたいと思います。 |