特亜三国(日本・韓国・中国)の言語には時制がない。時制がなければ、現実のみを表現できる。時制があれば、現実 (現在)と非現実 (過去・現在・未来)を表現できる。'人は生まれながらにして平等である' は、現在時制の非現実、'人間万事不平等' は、現在時制の現実である。現実を 'あるべき姿' (非現実)に近づける努力をかさねれば、我々は人間性を表現できる。夢も希望もある。'あるべき姿' を持っていなければ、アニマル風に自然の生活を続けることになる。 非現実の世界の内容は、大同になる。現実の世界の内容は、小異である。大同があれば、小異を捨てて大同につくことができる。協力関係が生まれる。大同がなければ、小異にこだわらざるをえない。小異を捨てる理由がない。無哲学・能天気の人には大同はない。国際的な未来社会の建設計画がない。小異の小競り合いだけがある。特亜三国は、北東アジアにパクリ文化圏を形成している。その争いは小異による。建設的な話し合いはしない。これは民度の低さというものか。小人たちの無哲学は、アジアの不安定要因になっている。失望の原因となる。http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/ http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/