恣意 (私意・わがまま・身勝手)の自由は、自由の履き違えである。この種の行為には滅私奉公で対処する。序列が公議となっているので、序列人間が出来上がる。何事も、決められたとおりに行う。礼儀作法は、序列作法である。
皇軍の兵卒は優秀 (愚直)であり、参謀は愚鈍であった。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで恣意の実現に励めば、南の島に雪が降る。
実況放送・現状報告のための言語により、現実肯定主義にとらわれて、現実から逃れるすべはない。
小異は現実の中にある。大同は非現実の中にある。小異を捨てて大同につくのが良策であるが、無哲学・能天気の人間にはそれができない。国語に非現実を文章内容とする文法的枠組みが無い。
文章が存在しなければ、矛盾を指摘して排除することができない。だから、正しい考えが得られない。
被害者意識は小異である。大同が無いので、双方ともに小異を譲る気配はない。小異と小異の全面対決で、北東アジアの不安定要因は出来上っている。
意思があれば、加害者意識 (罪の意識)もある。深刻な反省もある。人道主義が発展する。人類の進歩もある。
意思がなければ、罪もない。深刻な反省もない。供養ばかりでうんざりする。そうした思慮のない大人の態度がひどく恨めしい。
無心の大人が小異への執拗なこだわりを見せる。辟易する。夢も希望もない。絶望感がある。
'我々は、どこに行くか。' どこにも行かない。世界観がない。未来社会に関する建設的な内容はなにもない。特亜三国人は、かような西洋の哲学的命題には無縁である。変わりが無ければ、それは天下泰平の世の中ということである。
意思は未来時制の文章内容で、特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。特亜三国人には意思が無い。これは運命か。
意思のある人は、責任者になれる。意思を表明して、理解ある協力者を得ることができる。
意思のない人は、優柔不断・意思薄弱である。責任者に適していない。この国がひっくり返った時にも、責任者はでなかった。
民の恣意を操る人間には、責任感が無い。このような人が、責任者に任命されると民の義務だけが残って、理解が得られない。牛馬の様な仕事になる。とかく、この世は、無責任。
人間の持つ創造力を使って、無意思の困難を打開できないか。ここが思案のしどころである。
英語を使えば、この困難は打開できる。英語の高等教育を受ければ、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.)となれる。哲学のある政治をすれば、われわれは大同を得ることになり、民の生活は改善する。
北東アジア諸国連合は出来ないか。北東アジア軍の創設はどうか。法を説くものには、守護神が必要である。
仁王立ちに成り、その力を示せ。力は正義である。(Might is right.)
平和は、我々の全てではない。だが、平和が失われると、我々の全てが失われる。平和を守れ。紛争地域に平和を取り戻せ。
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日本語には、時制が無い。だから、日本人の発言内容は、現実のことに限られている。
実況放送・現状報告の内容は、目の前の見たこと・聞いたことに基づいている。
All men are created equal. (人間はみな平等に造られている) は、非現実の発言である。いかなる根拠に基づいて、そう言えるのかと問われる。'人間万事不平等' なら日本人にもわかる。その実例はいくらでも挙げられる。
だが、過去と未来は非現実である。調べてみなければわからない。
よく考えてみると、現在にもわからないことがある。
だから、'我々はどこから来たか、我々は何ものか、我々はどこに行くか' という一連の哲学的命題に達する。これは、過去・現在・未来と並ぶ時制の配置と同じである。
過去に関して、始祖鳥の飛ぶところを見た人はいない。
現在に関して、原子が互いに手を取り合って、分子を作っているところを見た人はいない。
未来に関して、人種差別のない地球を見た人はいない。
だが人々はそのような内容を考える。これは暗記物でも受験対策でもない。
これはアイデアである。これが終わりではない。だから人類の考えは発展する。
それは、個人の考えというものである。矛盾が無ければ、その内容は正しいということができる。
実況放送・現状報告の内容とは関係ない。見ればわかるという内容でもない。
それでは、いかなる根拠に基づいて、そのようなことを人は語るのか。ということになる。
それが、アイデア・考えというものである。言語に考えの枠組みというものがあって、その空白を埋める作業である。'不思議!'と思って、発見がある。矛盾が無ければ、それはアイデアである。個人の所有物である。
空白をそのままにしておくのは、どうしても気にかかる事であるから、ついそうなる。'考える人' になる。
時制のような枠組みを持たない言語では、全てが当たり前で、頭の中に気になる空白もなく、無哲学・能天気で一生を過ごす。その代わり、浪花節だの恨み節といった目の前の悩みが多く出てくる。
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