・>『学力は関係ない。ゆとり教育世代が批判されるのは、学力ではなくて社会常識が無い人間が多いからだ。』という批判もありますが、日本とは比べものにならないくらい詰め込み教育を推進している詰め込み教育大国の韓国でも、現在子どもたちが社会性がなさすぎて軍隊で適応できず、落ちこぼれたりひきこもりになる事例が続発して社会問題になっていますから、ゆとり教育世代であれ詰め込み教育であれ、常識に欠ける子供が増えたのはアジアの先進国においては共通の現象ではないか?と感じます。
ついでにいうと、精神力や忍耐力が乏しくてキレやすい子供が多かったのはゆとり教育世代ではなくて詰め込み教育世代ですね。先輩方は自分たちの価値観で彼らを測るので「これだからゆとりは」って話になります。 (引用終り)
特亜三国人 (日本人・韓国人・中国人) には、言語に時制が無いので、考える力がない。ゆとりを作っても、そのゆとり自体が教育効果を上げることはない。テストの正解は、常に個人本人の外にある。だから、学生はその正解を脳裏に詰め込む必要に迫られている。この目的の為に '詰め込み教育' がおこなわれている。だから、いずれの国も中等教育の教育大国になっている。
自己の世界観がないから、個人判断の基準はなく、優柔不断で、つかみどころがない。
教師は詰め込み教育により教条を学生に暗記させ、学生は暗記力の強さを誇りにしている。
いつ如何なる条件のもとでも妥当する不変の真理としてお題目に固執する。暗記により、筋金入りの (愚直な) 人間になる。
具体的な条件の下での創造的な発展 (未来時制) や、新しい経験 (過去時制) に基づく批判的検討 (現在時制) ができないところが欠点である。
時制が無ければ、非現実の文章内容は作文できず、非現実 (理想) の世界の展開は困難である。だから、考えて判断する力がない。
個人判断の為の基準作りは難しい。'自分さえ善ければ、、、' では、社会問題は解決しない。相手の持つ非現実の内容を把握しなければ解決の糸口は見つけられない。
理性ある人間同士の付き合いになるか、人間とアニマルの間柄に準ずる状態にとどまるか、それが問題である。
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