2026年06月19日(金) 

 

〉現代ビジネス   >国内旅行にさえ「行きたくない」人が半数近くに … 日本人はなぜ観光しなくなったのか   山口誠 (獨協大学教授) によるストーリー   >・13時間・   

>日本人の国内旅行の参加率はすでに5割を下回り、海外旅行を「したくない」人は過半数に達した。    

>日本人はいつから観光に価値を見出さなくなったのか。    

>データが映し出す「観光離れ」の現在地を考える。    

>話題の新刊山口誠著『観光を忘れた日本』(6月18日発売)では、日本で起きている深刻な「観光離れ」という社会問題を、観光の歴史をひもとくことで考察していく。    

>※本記事は、『観光を忘れた日本』より一部を抜粋・編集したものです。    

>コロナ禍のせいではなかった    

> 日本観光振興協会による別の経年調査によれば、過去1年以内に「宿泊をともなう国内旅行」へ参加した人の割合(参加率)は、2017年度に49.0%を記録したという。    

>つまりコロナ禍の3年ほど前から、1年間に1回も「宿泊する国内旅行」に行かない人が過半数に達していたことになる。    

>翌2018年度の「参加率」は50.1%に回復し、かろうじて半数を超えたものの、その翌年の2019年度から2024年度までの5年間は、50%を切った「参加率」で推移している。    

> この「参加率」と合わせて、「参加希望率(出かける意向の割合)」の調査結果も公表されている(下図 1-7)。     

>国内旅行の「参加希望率」は、東日本大震災の2011年度にピークを打ち、同年の81.9%から年々下降していった。    

>そして2017年度から、急減といえるほどの右肩下がりを示し、コロナ禍の影響が深刻化する直前の2019年度で、すでに61.1%まで下降していた。    

>その後の「参加希望率」は5割を下回ってはいないものの、しかし2024年度には53.1%まで低下した。    

>あと少しで半数を割るところまできている。    

> こうして2014年度から2024年度までの10年間で、およそ20ポイントも国内旅行への「参加希望率」が減少したことは、もっと知られてもよい社会的傾向である。     

> たしかに正月やお盆になると、帰省ラッシュのニュースが流れ、道路の渋滞や新幹線の混雑などが必ず報道される。    

>そこに日本を訪れる外国人たちの「インバウンド・ブーム」や過剰な混雑(オーバー・ツーリズム)などをめぐるニュースが加われば、まるで日本中が観光に沸いているような印象を抱くかもしれない。     

> しかし日本の現状を正確に理解するためには、印象ではなく実証が必要である。    

>すでに日本社会では、国内旅行の「参加率」は5割を切って久しく、「参加希望率」も減少し続けている。    

>また海外旅行は「したくない人」が過半数に達し、他方で海外旅行を「したい人」と回答した人は21.5%に留まっている。    

> 驚くべきことに、異なる組織による、異なる調査であるにもかかわらず、2024年における「海外旅行をしたい人」の割合である21.5%(日本観光振興協会の調査)は、「パスポート保有率」の17.5%(外務省の統計)と、じつに4ポイントの差しかない。    

>こうして、8割あまりの日本人が海外旅行に行かない、むしろ行きたくない、と回答する21世紀の日本社会の傾向が、はっきりと浮かび上がってくる。    

>観光に価値を見出さない日本人の増加    

> さらに観光庁による別の調査によれば、同じ2024年に観光目的で海外へ渡航した日本人は、およそ4.8%だったという(下図 1-8)。    

> 同年に有効なパスポートを所有する日本人のうち、4人に1人しか海外旅行へ出かけていない計算になる。    

>そして観光だけでなく出張や業務を加えても、9割ちかくの日本人が同年に海外へ渡航していないことがわかる。     

>もはや日本の観光は、お金がないから、時間がないから「したいけど、できない」ものではなく、積極的に「したくない」ものになりつつある。    

>これが21世紀の日本社会における、観光の現在地である。     

> こうして観光することの意義も価値も見出さない日本人が、21世紀に増え続けている。    

>この傾向は、コロナ禍以前からすでに始まっていたこと、さらに旅券発行数と出国者数から推測すれば、1996年ごろから30年ちかく続いてきた、長期的で継続的な社会の傾向であることを、ここで改めて確認しておきたい。    

> この先には、どのような日本社会が待っているのだろうか。    

>観光することの価値を認めず、むしろ積極的に観光したくない人が増えていき、観光することの想像力を持たない人びとが多数派を占めていく社会には、何が待っているのだろうか。     

 

内向き姿勢ですね。  

 

> ここで観光の意義を論じ、観光の復興を急ぐ道もあるはずだが、それとは異なる道筋を本書は進みたい。    

>なぜなら「観光とは何か」を考えずに、あるいは観光の本質をしっかり理解せずに、観光の復活を焦って求めるばかりでは、この長く続いてきた日本社会の傾向の、根本的な解決には至らないと考えるためである。    

>いま必要なのは、「観光とは何か」とその根元からしっかり問い、深く理解したうえで、21世紀の日本社会に適した一手を考えることだろう。     

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]   

子供の勉強は他人の受け売りをすること。日本人は無哲学・能天気であるから、自己の見解を明らかにすることはできない。だから子供の状態にとどまる。受け売りの教育により天下の秀才 (クイズ王) が沢山出来る。   

大人の勉強は自己の見解を明らかにすること。自己の見解を論文として発表し、英米流の高等教育機関から独創性を認められると、学位 (哲学博士 = Doctor of Philosophy: Ph.D.) が得られる。ぜひやるべき勉強です。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 


閲覧数34 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2026/06/19 05:04
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