誰も止められない |
>現代ビジネス >なぜ誰も止められなかったのか … 遺族の思いを踏みにじった 『NHKスペッシャル シュミレイション~昭和16年夏の敗戦~』 と 『開戦前夜』 >神保太郎 (ジャーナリスト (8名の共同筆名)) によるストーリー >・10時間・ >あの岩波『世界』の伝説的連載「メディア批評」が、現代ビジネスで奇跡の復活!今回のテーマは「歴史ドラマ・映画はどこまで創作が許されるのか」。 >太平洋戦争直前の敗戦予測を描いたNHKスペシャル『シミュレーション』と、その映画版『開戦前夜』を巡り、波紋が広がっている。 >実在の総力戦研究所長を「開戦を容認した人物」のように脚色したとして、遺族が損害賠償や映画の公開差し止めを求めて提訴したのだ。 >なぜこのトラブルは起きたのか。 (略) >負けると分かっていても、誰も止められない「空気」 >映画の製作委員会は2026年7月、公式サイトに新たな声明を発表した。 >「限られた史料や記録を基に当時の人々の声や人生に思いを巡らせ物語を創作することは、歴史を題材としたフィクション作品の通常のアプローチ」だと説明。 >「板倉大道は創作された人物」であり、飯村穣の名誉が毀損されたり、飯村豊の追慕の情が侵害されたりすることはないと主張した。 >さらに、映画では「所長」の肩書を使用せず、冒頭にテロップを付けるなど、「作中の人物と飯村穣氏との混同を避けるための措置を講じています」と強調している。 >しかし、『開戦前夜』は史実と創作についての解説が冒頭のテロップしかなく、『シミュレーション』よりも誤認を招きやすいだろう。 >そのテロップも前記の通り、「架空の氏名で登場する人物は…実在の人物をモデルにしていません」とうたうものの、テレビのドキュメンタリー部分は、架空の氏名で登場した一部の人物にモデルがいると明言しており、矛盾している。 >ドキュメンタリーを担当したディレクターは、早くから飯村豊に取材していたのに、その成果はドラマに生かされなかった。 >なぜか。 >少なくとも一因は、共同制作だったことにあるはずだ。 >仮にNHKが板倉の設定に疑問を抱いたとしても、製作委員会の1者にすぎず、テレビだけでなく映画も同時に作るため、委員会の他者が強く主張した場合、止めにくいだろう。 >実際、2025年9月のNHK定例記者会見で、当時の会長の稲葉延雄は『シミュレーション』について「フィクションと明示はしていたが、ドラマを面白くするために、史実と異なる脚色をしたと指摘されても致し方ない。 >さまざまな意見が出るような演出というのは、たとえドラマであっても、NHKらしくなかった」と非を認めた。 >さらに、稲葉は「NHKが外部の制作会社などと共同制作をする際、商業的側面が強調されることは起こり得る。 >NHKとして守るべき部分を最後まで貫けるか、あるいは主導できるかが大事で、それが難しいのであれば、共同制作とは別の方法を選択すべきではないか。 >今後、共同制作の枠組みを使って番組を制作する際には、そういった点によほど留意をして対応する必要がある」と力説した。 >日本は負けると分かっていても、誰も止められずに開戦に至った。
そうですね。いやといえない、ダメな私ね。
>それと同じ「空気」が、『シミュレーション』『開戦前夜』の製作委員会を包んでいたように思われてならない。
そうですね。日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。今も昔も我が国の責任者探しが難しい。序列人間である日本人は人間の序列を作る。しかし、その序列は責任に関係ないからである。
日本人には責任がない。だから昔から責任者を名指しすることが難しかった。一旦事が起これば、責任者捜しのために騒ぎが起こる。日本残酷物語の様な騒ぎになることもある。 肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。 徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
>(文中敬称略)
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