2026年08月11日(火) 

 

JBpress   >ミットウエイ海戦、日本海軍はなぜ自ら勝機を潰したのか? 準備不足と判断停止がもたらした敗北の必然   >関瑤子、大木毅によるストーリー   >・20時間・   

> 太平洋戦争の転換点として語られるミッドウェイ海戦。    

>この敗北は、日本が太平洋戦争における戦略的主導権を徐々に失っていく大きな転換点となった。    

>日本海軍はなぜミッドウェイで敗れたのか。    

>暗号を解読されたからか、それとも「運命の5分間」と呼ばれる偶然の不運があったからか。    

>『ミッドウェイ海戦』(文藝春秋)の著者・大木毅氏(作家・現代史家)は、そうした説明では日本の敗北の本質は見えてこないと語る。    

>日本が勝つ可能性は果たしてあったのか、敗北の真因とは何か──。    

>大木氏に話を聞いた。    

>(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)   

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>──本書ではミッドウェイ作戦について、とにかく「準備不足」だった、と述べています。    

>なぜミッドウェイ作戦を延期できなかったのか?    

>大木:ミッドウェイ作戦は、ドーリットル空襲によって実行が急遽決まったものです。    

>実施計画は6月初旬。    

>ドーリットル空襲が418日ですから、準備期間はわずか1カ月半です。    

> その短期間に、どこにどの艦船を置き、何を積み、どのような順序で進めるかという計画を詰めなければなりませんでした。    

> また、ミッドウェイ作戦の準備期間には、珊瑚海海戦などで空母と空母が衝突すればどのような事態が生じるのかという経験をする機会もありました。    

>珊瑚海海戦は19425月に日本軍と、暗号解読によりその動きを察知した米豪連合軍が戦った、史上初の空母同士の海戦です。    

> そこから得られたはずの教訓を作戦に反映させるべきでしたが、しませんでした。    

>作戦構想そのものも機動部隊の準備も、見直さなければならないことがたくさんあったはずです。    

> どれかが致命的な準備不足だったというわけではなく、一つひとつを見ていくと、どれも決定的に準備不足だったと言えるでしょう。    

>──ミッドウェイ作戦を延期できなかった理由は?    

>大木:本土空襲の懸念があったということが大きいでしょう。    

> 加えて、ミッドウェイ作戦は単独の作戦ではありません。「ミッドウェイ島を攻略したら次はハワイ、その次はフィジー・サモアへ向かう」という連続した計画の中の一つの作戦です。    

>希望的観測と言えばその通りですが、全体のスケジュールが決められており、そこから逆算すれば何が何でも6月初旬に実行しなければなりません。    

>計画全体のスケジュールが問題だったのです。    

>──先ほど、珊瑚海海戦の話がありましたが、空母と空母の戦いから得られた教訓とはどのようなものなのでしょうか。    

>大木:まず、その前に起きたセイロン沖海戦から見ていきましょう。    

>セイロン沖海戦で見えていた危険な兆候    

>大木:セイロン沖海戦は19424月、現在のスリランカ(当時セイロン)沖のインド洋で、日本海軍と英海軍東洋艦隊との間で行われた海戦です。    

>この海戦で、日本海軍の機動部隊は英空母ハーミーズを撃沈するなどして大きな戦果を挙げました。    

> セイロン沖海戦は、昭和の時代には日本海軍の一方的勝利と語られていました。    

>ところが近年の研究では、このときすでにミッドウェイ海戦と似た危険な状況が生じていたことが指摘されています。    

> この海戦では、イギリス軍と米軍は日本海軍の暗号をある程度解読しており、日本の機動部隊が来ることを事前に把握していました。    

>そして実際に、機動部隊の兵装転換(※)の最中に爆弾の至近弾が降るという非常に危険な場面が生じていたのです。    

>※艦載機の爆装を魚雷から陸用爆弾へ、あるいはその逆に積み替える作業    

> 兵装転換は、平時の訓練でも約2時間かかる作業です。    

>その間、艦載機を出撃させることは当然できません。    

>そうした状態で空襲を受けたら何が起こるのかというリスクは、セイロン沖海戦の時点でわかっていたはずです。    

>──珊瑚海海戦では、どのような教訓が得られたのでしょうか。    

>大木:珊瑚海海戦は、セイロン沖海戦よりも深刻でした。    

> 空母と空母が正面を切って戦った場合、勝ち負けや自艦の生存に関わらず、投入した空母はしばらく使い物にならなくなるということが明らかになったはずです。    

> 空母を攻撃するということは、容易なことではありません。    

>空母の周囲には巡洋艦や駆逐艦が輪形陣(※)を組み、激しい対空砲火を浴びせます。    

>※空母を中心に艦船を円形に配置した防御陣形    

> さらに、上空では空母の護衛の戦闘機が待ち構えています。    

>攻撃機は、こうした厳重な防御網を突破して突入しなければならず、その代償として多くの機体を失うことになります。    

> それまで多くの軍関係者たちは、陸上基地から毎日出撃する基地航空隊に比べて空母の艦載機は消耗が少ないと思っていました。    

>ところが珊瑚海海戦では、何十機もの艦載機が撃墜され、帰還しても損傷により再出撃不能という事態が続出しました。    

>暗号解読はどこまでミッドウェイ海戦に影響を与えたのか?    

>──両海戦の教訓がミッドウェイ作戦で生かされなかったのは、準備期間があまりに短かったからでしょうか。    

>それとも、失敗を認めたくなかったという心理が働いたのでしょうか。    

>大木:それが深刻なことだという理解が不足していたため、というのが大きいように私は思います。    

>──ミッドウェイ海戦については、米軍が日本軍の暗号の解読に成功し、連合艦隊がミッドウェイ島沖に現れることを知っていたため、日本軍が惨敗したという話をよく耳にします。    

>実際のところ、暗号解読はどれほど勝敗に影響を及ぼしたのでしょうか。    

>大木:暗号解読よりもインテリジェンスの方が本質的に重要です。    

>インテリジェンスとは、収集した情報を分析し、正確に状況を判断する能力を指します。    

>情報を集めること自体よりも、集めた情報から正確な像を描き出す分析力があるかどうか。    

>これが戦局を左右するものだと考えています。    

> ミッドウェイ海戦について言えば、確かに米海軍は日本海軍の暗号を傍受・解読していましたが、作戦計画書をそのまま入手したわけではありません。    

>米海軍がしたことは、断片的な情報の総合・分析です。    

>これが、大いに功を奏しました。    

> その一方で、英国の軍事史家のジョン・キーガンは「暗号を解読して手の内を読んでいながら、最後に米国の急降下爆撃隊が日本の空母に命中弾を与えるまでは、米海軍の航空隊は一方的にやられていた」と、興味深いことを指摘しています。    

>「大軍に兵法なし」と言いますが、極端な差があればいくら相手の手の内がわかっていても勝つことはできません。    

>暗号解読と緻密な分析はもちろん重要でしたが、だからと言ってそれが米国の勝利を決定付けたとは言い切れないと思います。

>──ミッドウェイ海戦について「すべてが失敗だった」と総括しています。日本海軍が一つだけ違う判断をしていれば、戦局が変わった可能性はあったのでしょうか。

>「運命の5分間」は全くの作り話    

>大木:歴史に「if」はないと言いますが、勝つチャンスはもちろんありました。    

>問題は、その可能性を自ら潰してしまったことです。    

> 日本将校の悪癖として、いったん計画を立てると、それが実現可能か検証する前に可能だと思い込む傾向があるとドイツ人将校が指摘していますが、まさにその通りだと思います。

> ミッドウェイ作戦においては「まずアリューシャンを叩いてアメリカの注意を引きつけ、次にミッドウェイを叩くとアメリカの空母機動部隊が出てくるから、これを撃滅する」という段取りが実現すると信じ込んでしまった。    

> 実際、日本海軍は海戦開始前の63日から4日にかけて(日本時間)に米空母が出てくる兆候をつかんでいました。    

>ところが、機動部隊の参謀は「本日敵機動部隊出撃の算なし」と判断します。    

> 結論を言えば、どこかで異なる判断をしていれば戦局が変わる可能性は十分にありました。    

>当時の日本海軍はその可能性を自ら捨ててしまった、ということです。    

 

これは日本人の通常に見られるだらしなさでしょうね。  

 

>──戦後日本では「運命の5分間」という言葉がミッドウェイ海戦の象徴として語られてきました。    

>大木:機動部隊の4隻の空母は、艦載機の半分をミッドウェイ島爆撃に向かわせ、残り半分を対艦船用の魚雷・爆弾を積んで待機させていました。    

> 第一次攻撃隊から「ミッドウェイ島に追加攻撃が必要だ」という報告が入ったため、待機中の艦載機の兵装を陸上用に転換し始めました。    

>そこに「アメリカの空母がいる」との情報が入り、慌てて対艦船用の兵装に再転換しようとします。    

>その途中で、米国の急降下爆撃機が飛来し、攻撃を受けてしまった。    

>「運命の5分間」とは、「あと5分あれば攻撃隊が発進していて、あんな大惨事にはならなかったはずだ」という話です。    

>けれども、これは全くの作り話です。    

> 戦後になってさまざまな検証を経た結果、あと5分で攻撃隊が出撃できるような状態とはほど遠かったことが明らかになっています。    

>そもそも、仮に甲板上に出撃準備が完了した機体が並んでいたとしても、全機が発進するには5分では到底足りません。    

> では、なぜこうした逸話が広がったのか。    

>「日本人は戦争に向いていない」    

>大木:一つには、敗北の言い訳です。    

>当時の機動部隊関係者たちが「あと5分あれば勝てた」と語り、その話が広がったのだと思われます。    

>日本人の側としても「手も足も出なかった」という実態より、「あと5分あれば勝てた」という物語のほうが心地よかったのでしょう。    

 

そうですね。ありもしない嘘ですね。     

 

> 軍艦も飛行機も数が多く、零戦をはじめ機材の質も良く、搭乗員もベテランだった。    

>だから負けたはずがないという一種の負け惜しみもあり、戦後長らく「運命の5分間」が信じられるに至ったのです。    

>──ミッドウェイ海戦から、現代の私たちが学ぶべきことは何だと思いますか。    

>大木:日本人は、戦争に向いていないのではないかと私は感じています。    

>もう少し正確に言えば、不測の事態や緊急事態に対応できないということです。    

> 戦争とは、19世紀のプロイセンの軍事思想家クラウゼヴィッツが言うように「本質的に何が起こるのか分からない混沌」です。    

>そういう事態に対して知性を働かせたり、組織を適切に機能させたりすることが、日本人は不得手なのではないでしょうか。    

 

そうですね。日本人には指導者としても適性がありませんね。   

 

> もちろん、これは私の漠然とした考えに過ぎません。   

>ただ、ミッドウェイ海戦当時と比べたときに、日本人が欠点を克服して進歩しているとは私には到底思えないのです。   

 

そうですね。猛反省など上の空ですね。日本人には思慮がない。         

2026年3月、名護市辺野古沖で研修旅行中だった、同志社国際高校の生徒を乗せた小型船2隻が転覆した事故。    

高校2年生だった武石知華さん(17)が死亡しました。  

特別調査委員会 渡辺徹委員長の報告は以下のようなものです。    

「本件事故を生じせしめた原因の根底には、多くの教職員において、生徒の身体生命の安全を確保するために何をなすべきかという観点での大きな『想像力の欠如』があった。    

およそ非難を免れず、猛省しなければならない」     

調査報告書について、知華さんの両親のコメントは以下のようなものでした。

「辺野古コースに関わった、多くの学校関係者の当事者意識のなさが際立っているように思いました。    

何度も止める機会があったのに、その全てが素通りされてきたこと。    

読み返すたびに本当にやりきれない思いが募ります」    

 

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