大東亜主義 |
>現代ビジネス >日本の占領は「暗黒時代」 …日本が掲げた「大東亜主義」はシンガポールでどう語られているか >辻田真佐憲 (文筆家・近現代史研究者) の意見 >・22時間・ >戦後81年を迎えたいま、私たちは「あの戦争」をどう位置付けるべきなのでしょうか。 >他国は「あの戦争」の日本をどう見るのか。 >なぜ日本には「国立近現代史博物館」が存在しないのか。 >私たちは「あの戦争」をどう語ればよいのか—―。 >『「あの戦争」は何だったのか』(講談社現代新書)著者の歴史家・辻田真佐憲さんが、戦争を「われわれのもの」として捉えるために、これまでの「語り」を見つめ直します。 >(※本記事は、辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』の一部を抜粋・編集しています) >他国の「われわれ」に触れる >大東亜戦争で掲げられたアジア主義的な理想は、いま、対象となった「大東亜」地域でどのように受け止められているのだろうか。 >一般に、中国や韓国、北朝鮮は日本に厳しい評価を下しているとされるいっぽうで、東南アジア諸国は比較的穏やかな態度を示すことが多いといわれる。 >では、東条英機の〝大東亜外交〟について、現地ではどのような評価がなされているのだろうか。 >文献を読むだけでは見えてこないことも多い。 >そこで、わたしは東条が外遊で訪問したすべての地をみずから巡ってみることにした。 >すなわち、南京、上海、新京(現・長春)、奉天(現・瀋陽)、マニラ、サイゴン(現・ホーチミン)、バンコク、シンガポール、パレンバン、ジャカルタ、クチン、ラブアンである。 >現在の国名でいえば、中国、フィリピン、ベトナム、タイ、シンガポール、インドネシア、マレーシアにあたる。 >また、当時は日本領だったが、現在は外国になっている京城(現・ソウル)、台北、高雄にも足を運んだ。 >まったく同じルートをたどったわけではないものの、現在の交通手段でもかなりの時間と労力を要した。 >当時の厳しい戦局のなかで、よくもこれほど頻繁に外遊を行ったものだとあらためて感心せざるをえなかった。 >結論からいえば、東条の訪問について明確な言及が確認できたのは、シンガポール、ラブアン、長春の三ヵ所にすぎなかった。 >タイにも関連する記述はあったものの、バンコクではなくアユタヤに所在しており、外遊先とは直接の関係はなかった。 >とはいえ、これだけの場所を巡ったことで、別の発見があった。 >それは、各国が歴史博物館や記念碑の説明などを通じて、それぞれの「国民の物語」を現在進行形で構築・明示しているということである。 >他国の「われわれ」がどのようにあの戦争を捉えているのか。 >そのアクチュアルな現場を読み解くことは、われわれ自身が同じ時期の歴史をどのように物語るのかを考えるうえで、大きな手がかりとなるはずだ。
日本に近現代史がないのはおかしいですね。 わが民族も、’我々はどこから来たか’・’我々は何者であるか’・’我々はどこに行くのか’ を語るべきですね。
>日本にもっとも厳しいシンガポール >今回訪問した東南アジア諸国のなかで、日本にたいしてもっとも厳しい展示を行っていたのは、マレー半島先端の都市国家シンガポールだった。 >その代表例が、南西部ジュロン地区に位置するシンガポール・ディスカバリー・センターの展示である。 >中心部から離れた同センターは、1996年にオープンした体験型の教育施設であり、シンガポール国防省によって運営されている。 >最新技術が駆使され、ゲームや映像体験などを通じて国防の重要性が魅力的に訴えられているのが特徴だ。 >常設展示では、植民地時代から現代にいたるまでの歴史がわかりやすく紹介されている。 >最初の展示エリアでは、巨大なスクリーンにユニオン・ジャック(英国国旗)が堂々と映し出され、明るい音楽とともに、シンガポールの植民地化を主導した英国人トーマス・スタンフォード・ラッフルズの存在が強調される。 >ここでは、英国の統治によって小さな島が国際貿易港へと発展したという肯定的な視点が前面に出され、植民地支配への批判的な視点はほとんど見受けられない。 >ところが、つぎの展示エリアに進むと、雰囲気は一変する。 >空襲警報のサイレンが鳴り響き、照明が薄暗く落とされる。 >「断末魔の喘(あえ)ぎ!」。 >そんな日本語とともに目の前に広がるのは、日本占領時代の展示だ。 >暗闇に包まれた部屋のなかでは、小さなモニターに後ろ手に縛られた男性の姿が映し出される。 >かれの荒い息遣いが響き、緊張感が高まる。 >そこに、日本兵の姿をした人物が軍刀を手にして近づき、ゆっくりとそれを振り上げる。 >そして、刃が振り下ろされるやいなや画面は暗転し、血しぶきのような赤い模様がパッと浮かび上がる──。 >これまでの映像は白黒だったのに、この場面のみが色付きで表現され、観るものの記憶に強烈な印象を残さないではおかない。 >さきほどのラッフルズの映像とはあまりにも対照的ではないか。 >さらに、日本軍の大きな軍靴が通路に突き出して、訪問者を踏みつけるように設置されている場所もあり、日本占領期への否定的な視点が強く打ち出されている。 >日本の占領が「暗黒時代」と描かれる理由 >英国の支配期間のほうがはるかに長かったにもかかわらず、日本の占領時代がより厳しく記憶されているのは、シンガポール特有の歴史的な背景が関係している。 >シンガポールは、1819年、英国東インド会社の領土となった。 >シンガポール・ディスカバリー・センターの展示では触れられていなかったが、ラッフルズは、ジョホール王国のスルタンの王位継承争いをたくみに利用し、同島を英国の支配下におくことを認めさせた。 >その後、1824年には正式な英国の植民地となり、それまでわずか150人ほどが暮らしていたこの小さな島は、急速に発展を遂げ、多民族が共存する国際貿易都市へと変貌した。 >この発展のなかで、華人、マレー人、インド人、そしてユーラシア人(英国人などの白人。混血を含む)が移り住み、多民族社会の基盤が築かれた。 >そのため、植民地支配によって固有の文化や歴史が奪われたという意識は希薄であり、むしろ英国の統治のおかげで自分たちの祖先がここにやってきたという考えが根付いた。 >その意味でラッフルズはまさに建国の父であり、現在でも市内各地にはその銅像が建ち、その名を冠した場所が多く残されている。 >これにくらべて、日本の占領期間は1942年から1945年までの約3年間と非常に短期間だったものの、シンガポールの社会にほとんど恩恵をもたらさなかった。
日本と英国ではシンガポールに対する歴史の長さが違いますね。
>たしかに日本は、従来シンガポール社会で上位を占めていた英国人と華人を抑え、マレー人やインド人を優遇する政策をとった。 >しかし、これはあくまで一部の層を優遇したにすぎず、社会の不安定化を招いただけだった。
そうですね。それは残念なことでしたね。
>さらに、シンガポールで最大の人口(全人口の約7割)を占める華人コミュニティに徹底的な弾圧を加えたことも大きな禍根を残した。 >日本軍は、日中戦争中にシンガポールの華人が蔣介石政権への支援を行っていたことを問題視し、かれらを潜在的な反日分子とみなした。 >その結果、占領直後に「大検証」として知られる大規模な弾圧を実施し、18~50歳の華人男性を集めて尋問、反日的・共産主義的と判断されたものをつぎつぎに処刑した。 >犠牲者数については諸説あるものの、シンガポール側では4万~5万人、日本側では約5000人とされている。 >いずれにせよ、大規模な処刑が行われたことは間違いなく、このできごとはシンガポール社会に深い傷跡を残した。
そうですね。残念なことでしたね。
>のちにシンガポールの初代首相となるリー・クアンユーも、この「大検証」に巻き込まれて、危うく命を落としかけたという苦い経験を持っている。 >こうした背景から、シンガポールの歴史教育や記念施設では、日本の占領時代が英国統治時代よりもはるかに暗黒の時代として描かれている。 >さらに、日本占領時代が強調される理由に、シンガポールの特殊な事情がある。 >シンガポールは多民族社会として発展してきたため、国民としての統一意識を形成するのが容易ではなかった。
‘人種のるつぼ’ のほうに近いですね。なれ合いの通用しない社会ですね。
>一般的に、独立を果たした新興国家は、植民地支配を否定し、自国の独自性を強調する傾向にある。 >しかし、シンガポールの場合、英国統治時代に多くの移民が流入し、その子孫が国を構成しているため、植民地支配そのものを全面的に否定すると、みずからのアイデンティティの否定にもつながりかねない。 >いっぽう、日本の占領はシンガポール住民のほぼすべてに深刻な苦難をもたらした。
そうですね。それは残念なことでしたね。
>この共通の経験は、戦後のシンガポールにおいて国民意識や国防意識を醸成するうえで重要で〝使い勝手のいい〟要素となったのである。 >現在のシンガポールでは、経済を最優先する現実主義が支配的であり、幸い日本にたいする敵対的な感情が公然とあらわれることはほとんどない。 >日本の外務省が行っている対日世論調査でも、近年シンガポールにおける対日感情は一貫して良好だ(これはシンガポールに限らず、東南アジア全般について当てはまる)。 >だが、以上のような「国民の物語」が形成されていることは、日本人も記憶にとどめておく必要があるだろう。
そうですね。同じような施設は中国にもありますね。日本人はそういうところには行きませんから、彼らの暗い歴史を知らぬは日本人ばかりですね。 日本人には暗い歴史はないのか。それは書いてみなければわかりませんね。我が国にも近代史・現代史の博物館が必要ですね。 ‘我々はどこから来たか’、’我々は何者であるか’、’我々はどこに行くのか’ を我が国もはっきりさせて展示する必要がありますね。我が国は、国際社会での自己紹介を進める必要がありますね。 そうすれば我々の暗い歴史の内容も明らかになることでしょう。震災時の外国人迫害などにも理解が得られますね。
>辻田 真佐憲(つじた まさのり) >1984年、大阪府生まれ。 >評論家・近現代史研究者。 >慶應義塾大学文学部卒業。 >政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。 >著書に『「あの戦争」は何だったのか』『「戦前」の正体』(ともに講談社現代新書)、『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』(文春新書)、『大本営発表』(幻冬舎新書)などがある。
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