2026年08月13日(木) 

 

>現代ビジネス   >ヒトラーと「親密すぎる」A級戦犯が衝撃の独白をしていた ,,, 「日本人の付和雷同」ぶりを浮き彫りにした「懺悔」は   >増田剛 (政治・外交ジャーナリスト) の意見    >・9時間・   

>ヒトラーに心酔した「A級戦犯」とは    

>この記事に目をとめた方であれば、おそらく「大島浩」の名前は、ご存じだろう。    

>昭和史に関心の高い向きにとっては、その存在はかなり知られたものかもしれない。    

>第二次世界大戦下の駐ドイツ大使で、徹底した「ドイツびいき」の陸軍軍人。   

>ナチス幹部との関係を深め、日独防共協定や日独伊三国同盟を推進した人物。    

>ドイツに過度に肩入れして、日本を勝ち目のない戦争へと導き、戦後、A級戦犯として断罪された男。    

>大島浩に対する歴史的な評価は、控えめに言っても、概ねそのようなものだ。    

>しかし、その「悪名」の高さからだけではなく、大島の特異なキャラクターや波乱万丈の人生には、底知れぬ凄みがある。    

>陸軍大臣の息子として生まれ、幼少期からドイツ式教育を叩き込まれた大島は、堪能なドイツ語を武器にナチス政権の幹部に食い込み、ついには稀代の独裁者アドルフ・ヒトラーの信頼を勝ち得るまでになった。    

>戦後、東京裁判で、一票差で絞首刑を免れ、終身刑となった大島は、恩赦による釈放後、神奈川県の茅ヶ崎に隠棲した。    

>「自分には国をミスリードした責任がある」。    

>そう言い残した大島は、公の場から姿を消し、沈黙を守ったまま亡くなったとされてきた。    

(略)

>ヒトラーとの異常なまでの親密さ    

>膨大なテープの中で最も印象に残るのは、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーとの親密な関係を、大島が饒舌に語っている部分だ。    

>「ヒトラーはね、何しろ変わっていますからね、性格が。    

>常人の物差しじゃ、非常にやりにくいところがあるんですよ。    

>ただ、私は本当に非常に心安くなったんですがね。    

>例えば、私が行くと、ヒトラーは、私が『酒好き』だってことを知っているもんですからね、私にキルシュっていう一番強い酒を出すんですよ、私だけは『特別だ』ってね」    

>キルシュ(キルシュヴァッサー)とは、サクランボを発酵させてできた蒸留酒で、大島の大好物だった。    

>さらに大島は、ヒトラーから頻繁に意見を求められていたと語る。    

>「ヒトラーは非常に人の言う意見を聞きたがる。    

>『お前どう思う』『お前どう思う』って、聞きたがるんですね。    

>ドイツ人ってやつは、推理力はありますが、勘は悪いんですね。    

>ところが不思議に、ヒトラーは勘がいい。    

>いいセンスを持っている男ですよね。    

>(中略)ヒトラーってやつは、考えますからね。    

>頭のいいことは、これはもうね。    

>ちょっと常人の考えないことですよ。    

>まあ、天才であることは、疑いのないことでしょうからね」     

>世界史上、最悪の独裁者であるヒトラーとの親交を誇り、「天才だ」と絶賛する大島。    

>現代を生きる私たちにとっては、ちょっと信じられない。    

>さらに大島は、親密になったヒトラーから南ドイツにある別荘「ベルクホーフ」に招かれた際、「独裁者ゆえの孤独」を打ち明けられたこともあったという。    

>「『実際、独裁者ってものはつらいものだ。    

>自分の決心ひとつで全国民の利害に関係があると。    

>(中略)私は酒は飲みますが、独裁者としては、酒は飲みません。    

>いつどんな重大な判決をせにゃならん場合があるか、わからんからね』と。    

>それを聞いて、なるほどと思ってね」    

>側近にも弱みを見せなかったヒトラーにとって、大島は、数少ない「心を許せる存在」だったのだ。    

>「三国同盟の骨子は、私が便箋に書いた」    

>大島がドイツで最も太いパイプを築いたのは、ヒトラーの外交ブレーンであり、のちに外相となるヨアヒム・フォン・リッベントロップだった。    

>大島は正規の外交ルートを通さず、彼と秘密裏に交渉を重ね、1936年(昭和11年)に日独防共協定を成立させる。    

>この功績で、大島は駐在武官から駐ドイツ大使へと異例の昇格を果たす。    

>「軍人大使」の誕生だった。    

しかし、1939年(昭和14年)、ナチス・ドイツは突如として、仇敵・ソ連と「独ソ不可侵条約」を結ぶ。    

>立役者は、他ならぬリッベントロップだった。    

>大島にとっては、深い信頼を寄せていた相手からの「裏切り」だった。    

>また、対ソ連でドイツと提携していたはずの日本政府は大きな衝撃を受け、時の平沼騏一郎内閣は「欧州情勢は複雑怪奇なり」という談話を発表して総辞職。    

>大島も責任を問われる形で大使を辞任し、「一民間人」となった。    

>ところが、歴史の歯車は狂い始める。    

>ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、ドイツが破竹の快進撃を続けると、日本国内で再び、ドイツとの同盟論が再燃したのだ。    

>1940年(昭和15年)9月、日本との同盟締結に向け、リッベントロップから特使ハインリヒ・スターマーが日本に派遣される。    

>この時、「一民間人」だったはずの大島は、自らが交渉の「黒幕」として暗躍していた事実を、テープの中で生々しく告白している。    

>「向こうの外務省から『スターマーが行くよ』という電報が、日本の外務省に届いた。    

>松岡洋右外務大臣に届いた。    

>松岡氏はスターマーに会ったこともないし、どんな人間かも知らんもんだから、それで私に『来てくれ』って言うんで、松岡氏を訪ねて、『スターマーって人間は、どうだこうだ』っていうような話をした」    

>その時に大島は松岡から条約の原案を書いてほしいと頼まれたことを明かす。    

>三国同盟の原案を起草したのは大島自身だったのだ。    

>大島「松岡氏が私に一案、書いてくれって言いましたよ。    

>その内容の骨子をね。    

>(中略)便箋に書いたの」    

>大島が手元にあった便箋に急いで書いたという条約の骨子。    

>それをもとに、「日独伊三国同盟」が作られたというのである。    

>日本がアメリカとイギリスを敵に回すことになり、太平洋戦争への道を決定づけたとされる、あの同盟が。    

>さらに大島は、日本政府が同盟に踏み切りやすくなるよう、ドイツ側に対して「日本がドイツと同盟すれば、ソ連と不可侵条約を結んでいるドイツが、日本とソ連の間を仲介してやると言えばいい」と、いわば“知恵をつけていた”ことまで明かしている。    

>当時の日本政府は、日中戦争が泥沼化している中で、北方のソ連との関係は安定させたいと考えていた。    

>ここまでくると、大島はまるでドイツのエージェントである。    

>日本の大使なんだか、ドイツの大使なんだか、よくわからない。    

>結果として、スターマー来日からわずか20日後の9月27日、日独伊三国同盟は調印・締結された。    

>大島は「ドイツ屋」としての強烈な自負とともに、「世界史を動かした立役者」としてのプライドを胸に、再び表舞台(大使)へと返り咲いた。    

>しかし、この同盟こそが、アメリカの態度を硬化させるとともに、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争を結びつけ、戦火を地球規模に広げる決定的な転機となったのである。    

>ヒトラーから漏らされた「超ド級のインテリジェンス」    

>1941年(昭和16年)12月8日、日本はアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、無謀な太平洋戦争へと突入していく。    

>なぜ日本の指導者は、巨大な国力差のある米英との開戦を決断したのか。    

>その要因のひとつが、大島がベルリンからもたらした、独ソ戦における「ドイツ優勢」の公電だった。    

>同盟国のドイツが欧州を制覇すれば、米英も日本に対する戦意を喪失するかもしれない。    

>信じられないほどの希望的観測だが。    

>真珠湾攻撃の2ヵ月前、大島は「ドイツは計画通り、厳冬期前にソ連軍に壊滅的打撃を与え、ソ連の資源の大部分を押さえて、再起不能の状態にできるだろう」と打電している。    

>しかし現実には、その頃すでにドイツ軍の攻勢は、冬の降雪と泥濘、ソ連軍の粘り強い抵抗によって頓挫し始めていた。    

>実際、大島自身もテープの中で、当時、ドイツ軍の強さを十分な根拠もなく信じ込んでいたと、率直に打ち明けている。    

>「今考えると、大体ドイツが勝つだろうっていう前提に立って、やったわけなんですよ」    

>ではなぜ、日本政府は大島の情報をそこまで盲信したのか。    

>それは、独ソ開戦の直前、大島がヒトラーから直接「超ド級のインテリジェンス」を聞き出し、本国に伝えていたからである。    

>1941年6月3日、ヒトラーは大島を密かに山荘「ベルクホーフ」に招き、こう告げた。    

> 「ソ連のドイツに対する態度は、外面、友好的だが、実は反対である。    

>私は常に相手より先に刀を抜く男である」     

>大島は即座に、「ドイツがソ連と戦争を始める」と理解し、この最高機密を日本へ打電した。    

>松岡外相はこれを信じようとしなかったが、2週間後の6月22日、実際にドイツ軍は「バルバロッサ作戦」を発動してソ連に侵攻。    

>「やはり大島の情報は正しかった」と、日本政府は「ベルリン発大島電」に絶大な信頼を寄せるようになったのである。    

>「バスに乗り遅れるな」の狂気と、為政者の教訓    

>この大島の証言テープについて、昭和史研究の第一人者であるノンフィクション作家の保阪正康さんは、当時の日本政府の「外交不在」を厳しく指摘する。    

>「20日間で(三国)同盟を結ぶなんていうのは、軍人のやり方ですよ。    

>大島さんは、ちょっとドイツびいき過ぎた。    

>100パーセント、ドイツにほれてしまった」    

>ただ、保阪さんは、大島だけでなく、当時の指導者や国民の多くが、ナチス・ドイツとヒトラーの勢いに惑わされていたことを忘れるべきではないとも強調した。    

 

そうですね。   

 

>「日本もドイツに続け」という空気が支配的になっていたのだ。    

>そして、そうした当時の空気の象徴ともいえるものが、三国同盟締結後前後の流行語「バスに乗り遅れるな」だった。    

>この流行語に象徴される「付和雷同」の国民性にこそ、本質的な危機があったと語る。     

 

そうですね。歌詠みのようなもので意味がない。      

 

>「『バスに乗り遅れるな』というのは、裏返しにすれば、『強いものにつけ』という、実に単純な考えです。    

 

付和雷同の掛け声ですね。   

 

>状況が動く中で、国家ビジョンを持って見る目を持たないと、国論が進む方向なんて、危なくて為政者に任せられないじゃないですか。    

 

‘われらはどこから来たか’、’我々は何者であるか’、’我々はどこに向かうか’ の哲学的命題に答を出す必要がありますね。   

 

>その責めを大島さんだけに負わせるのはかわいそうですね。    

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気の民族ですからね。   

 

>私は、かわいそうだと思う。    

 

日本人は大型の子供ですからね。12歳の少年かな。      

 

>しかし、大島さんを見ることによって、そういう問題点が浮き彫りになってくるんだということは、知らないといけないと思いますね」    

>「私はもちろん、責任を痛感する側で、非常にそういうことを感じますね」    

>「経済力、生産力なんつう判断は、全くやっていないんですよ。    

>軍力だけでこれは勝つだろうと」    

 

日本人は夢中になる性格ですかね。   

 

>「自分は、国をミスリードした、誤った方向に導いた人間だ。    

>世に出るわけにはいかない」    

>こう言って口を閉ざしていた男が、人生の最後に残した12時間にわたる告白。    

>それは、冷静な判断力を失い、破局へと突き進んだ「日本の実像」そのものだった。    

 

考えの内容は個人個人で違いますからね。議論をする必要がありますね。    

 

>1975年(昭和50年)6月6日、大島浩は、茅ヶ崎の自宅で89歳の天寿を全うした。    

>ヒトラーに傾倒し、世界史の荒波に呑み込まれた男の、波乱に満ちた生涯だった。    

>現代を生きる私たちにとっても、この告白テープが発した警鐘は、決して過去の遺物ではないはずだ。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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