書き込み数は5件です。 | ◀▶ |
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。だから、ただ単語を並べても意味はない。文章を作れ。 西洋人は、文章が有れば、非現実の内容にも意味がある。しかし、文章を離れて勝手な解釈をすることには意味がない。 日本人には、非現実の内容を表す文章がない。しかし、人の声、鐘の声、虫の声などに対する勝手な解釈にも意味があると考えている。 'だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' とは、歌詠みの台詞か。気分・雰囲気を自分自身で勝手に捉える。俳句・和歌のようなものか。 日本人は、現実の内容以外は筋道を立てて捉えること … [続きを読む] |
・>小林節慶大名誉教授は、今の安保関連法案の本質について「国際法上の戦争に参加することになる以上は戦争法だ」と断じ、平和安全法制と名付けた安倍晋三首相や政府の姿勢を「平和だ、安全だ、レッテル貼りだ、失礼だと言う方が失礼だ」と痛烈に批判した。 ・>憲法や安全保障についての考え方が異なる3人の参考人だが、そろって問題視したのは閣議決定で認めた集団的自衛権の行使。集団的自衛権は「違憲」との見方を示し、憲法改正手続きを無視した形で推し進める安倍政権の手法を批判した。 全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。 日本人 … [続きを読む] |
時代は進む。憲法改正は必要である。 和歌・俳句は文章でないから、勝手な解釈も許されるのかもしれないが、文章である憲法の内容の勝手な解釈は許されるものではない。日本人は、文章で考えを固定しようとするのではなく、解釈で考えの固定を解こうと解釈改憲を企てるのは大それたこと。これは国語の問題である。日本語の問題は、アメリカの圧力の下でも解決しない。 議論ができないから、議論は尽くせない。決議をしようとすれば、国論を二分したまま、数による決着しかない。議論の仕方を覚えることが大切。世界観を持つことが必要である。 民主主義と言いながら、民意を … [続きを読む] |
インド人には、時制が有るので、非現実の内容を考えることができる。 … [続きを読む] |
マルチン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King Jr.) の1963年8月28日にリンカーン記念堂の前で行った 'I have a Dream' (私には夢がある) の演説は、1961年1月20日に行われたジョン・F・ケネディの大統領就任演説とともにアメリカを代表する名演説である。 日本人には、こうした名演説はできないであろう。それは何故か。それはメンタリティの問題である。 以下は、その演説の一説である。 ・>I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal." ・>私には夢がある、つまりいつの日か、この国が立ち … [続きを読む] |
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