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2015年06月25日(木) 
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。だから、ただ単語を並べても意味はない。文章を作れ。
西洋人は、文章が有れば、非現実の内容にも意味がある。しかし、文章を離れて勝手な解釈をすることには意味がない。
日本人には、非現実の内容を表す文章がない。しかし、人の声、鐘の声、虫の声などに対する勝手な解釈にも意味があると考えている。
'だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' とは、歌詠みの台詞か。気分・雰囲気を自分自身で勝手に捉える。俳句・和歌のようなものか。
日本人は、現実の内容以外は筋道を立てて捉えることができないから、現実肯定主義となる。だが、雑念には煩わされている。

日本人の細工物は、仕上がりが良い。資源不足にもかかわらず、我が国は外貨を稼いでいる。
だが、非現実 (未来・過去) に関する考えができない。歴史認識に問題を起こすことはあっても、未来社会に関する提唱をすることもない。指導性を発揮できないので、存在感がない。政治音痴か。我が国は、世界の中にあって、世界に属していない。
温故知新がならず、夢と希望がない。。
英語を我が国の第二言語と定め、考えの不足を補い、発想の転換を図ろう。我々の言語を二刀流とし、鬼に金棒としよう。

事を起こすには、意思の決定が必要である。日本人には意思の内容がない。優柔不断・意志薄弱では決断できない。無為無策でいるか。自然の流れに従うか。流されるか。
'何も変わらない'、'何処へも行かない' と言って聞かせれば、安心する。お変わりなければ、天下泰平である。
過去・現在・未来の世界を並べて考える人たちは、日本に対する黒船のようなものである。この事態は座視できない。明治維新の次は平成維新か。奇兵隊は、何処に向かって攻撃を仕掛けるか。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)


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閲覧数557 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/06/25 14:10
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