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2008年09月15日(月) 



(A) 日本人は、'現実'と'考え (非現実)' を分けることができない。
現実だけを考えれば、矛盾がない。
現実に考えた内容 (非現実) を入れると矛盾が生ずる。
現実だけを話すと、その内容は正しいが、その人は子供のようになる。思慮がないからである。
だが、残念なことに、日本語で話せば、理想の内容はこの世の嘘・偽りになる。
「それ、嘘・本当?」の中の嘘になる。

(B) 英語では、「あるべき姿」は未来構文 (未来時制) の内容となるが、日本語ではそうはならない。日本語には時制がないので、日本人の話は、言うなれば、現実構文 (現在時制) ばかりの文章で成り立っている。
「意思のあるところに方法はある」といわれているが、意思は未来構文の内容であって、現実構文の内容ではない。
だから、意思の内容を現実構文の中で言い表すと、この世の嘘・偽りになる。

(C) 日本人は自分の意思の内容を話すことはできないし、他人の意思の内容を求めることもない。腹の底・胸のうちは、どろどろ・もやもやしたものになっている。以心伝心に期待を寄せているが、これは勝手な解釈をしてもよいということか。
意思のあるなしを問題とすることなく政治指導者を選出しても、社会改革の手段とはならない。意思の表明が当事者を作る。実況放送・現状報告の内容ばかりでは、ただ傍観者の発言となる。

(D) 未来構想なくして、未来への夢と希望は得られない。未来のために金を投資する意思も出ない。金余り現象はあっても、その金を景気回復の起爆剤として活用することはできない。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない。閉塞感だけが全国を覆っている。
昔なら閉塞から諦観へと進むのであろうが、自由を求める現代にあってはそうはいかない。
「仕方がない」の台詞は、外国人からも批判されている。
我々には、この世の嘘・偽りを本当にしてみせる力が必要である。考える力が生きる力となる。

(E) こうした言語事情もあって、日本では英米流の高等教育が成り立たない。キャンパスには退屈男・退屈女があふれ、4年間を遊んで暮す。それで、大学の教養部は崩壊した。外国のエリートも日本への留学を避けている。暗記と受け売りの練習で鍛えられた日本のからの留学生は、英米の大学にも適応できない。我が国では、職業教育は成り立つが、教養教育 (大学教育) が成り立たない。我が国は教育あって教養なしの国である。


Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.

沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins



http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


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閲覧数2,282 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2008/09/15 00:32
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コメント(6)
時系列表示返信表示日付順
  • 2008/09/18 20:28
    照井雅翔さま

    ご返事ありがとうございます。
    お手紙に少々具体的でない所がありますので、質問をさせていただきます。


    「今ある姿」を「あるべき姿」に導くあなた自身の具体的な方策は、

    まずは、あなたが(1)今ある姿 (政治制度) を理性によって理解したのですね。と、どのような内容になったのでしょうか。

    次に、あなたが(2)合理性という観点から今ある姿 (政治制度) を分析したのですね。と、どのような判定が下されたのですか。

    そして、あなたが(3)どのように変えることが望ましいかを思考したのですね。と、いかなる方法がよいとの結論に達したのですか。

    このご返事は、あなたが(4)上記の改革案を実行することの意思表明なのでしょうか。

    最後に、改革後の貴方の生活は、今と比べてどのように変わったものになるのでしょうか。

    S.T.

    次項有
  • 2008/09/17 14:14
    さん
    お名前:照井 雅翔

    (1)(2)についていえば、社会学によるような認識(例えば、「常識」「世間」の自明性を疑い、権力性を暴くなど)で、この社会にあるさまざまな権力関係(不平等関係)を理解することができると思います(不平等とは言ってもすべてが一概に悪であってなくすべしだという「悪平等思考」は論外です。努力したものが報われるのは当然です)。

    そのような理解に基づいて、より「機会の平等」が保障され(不平等是正)、個人が尊重されるような社会の構築が目指されます。不平等是正の方法としては税制改革(累進税率40%は低すぎる)や教育改革、労働法規等の罰則強化や遵守徹底があります。
    実行の必要性については、以前から小沢一郎議員の掲示板にて何度も教育改革に関する発言をしているとおり、日本の将来のために絶対に実行しなければならないと考えています(団藤重光『反骨のコツ』朝日新聞出版、2007年10月 小林章夫『教育とは―イギリスの学校からまなぶ』NTT出版2005年8月 参照)。

    次項有
  • 2008/09/17 11:08
    照井雅翔さま

    ご返事ありがとうございます。
    お手紙に少々分かりかねる所がありますので、質問をさせていただきます。


    「今ある姿」を「あるべき姿」に導くあなた自身の具体的な方策は、

    まずは、あなたが(1)今ある姿 (政治制度) を理性によって理解する。と、どのような内容になるのでしょうか。

    次に、あなたが(2)合理性という観点から今ある姿 (政治制度) を分析する。と、どのような判定が下されるのでしょうか。

    そして、あなたが(3)どのように変えることが望ましいかを思考する。と、いかなる方法がよいとの結論に達するのでしょうか。

    最後に、あなたが(4)上記の改革案を実行することが本当に必要だと考えますか。

    S.T.

    次項有
  • 2008/09/17 09:50
    さん
    お名前:照井 雅翔

    私の感覚は極めてキリスト教的(個人は自由であることを自然状態とする)ではありますが、私は「今ある姿」とは広義の政治制度又は体制、と捉えています。すなわち「権力」によって維持されているものです。
    また、「今ある姿」を「あるべき姿」に導く具体的な方策は、まずは(1)今ある姿を理性によって理解すること、次に(2)合理性という観点から今ある姿を分析すること、そして(3)どのように変えることが望ましいかを思考すること、最後に(4)改革を実行すること、だと
    考えます。
    ただ、ある「べき」姿を論じるためには、本人が道徳(倫理)教育・宗教教育を受けて「善悪」を理解する必要があります。具体的には、「ただみんなと合わせるだけではいけません」や「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」などと教えるしかない(最終的には、unfairによって他の個人を尊重しなかった場合に何らかの制裁が加えられることが必要)と思います。
    ちなみに母によると、幼少期の私は何にでも「なぜ」と聞いたそうです。今でもそうですがそれは反発からではなく、なぜ相手の発言の通りにすることが自分にとっても妥当なのか知りたいだけ、言い換えれば「それはあなたの感情的なすべきであって、私がそのように行動するべき正当性を示せ」ということです。
    英語の「critical」は、確か「cross」を語源としたはずですが、そのcrossはキリスト教の十字架が表すように、善と悪を判断することを元の意味にしていたと思います。

    「critical thinking」「critical reasoning」は、結局のところ「合理的な理由が示されない限り他者の発言に従う必要はない」ということから生まれるのです。例えば、労使関係はあくまで「契約関係」なのであって、契約以外のことを労働者が要求されないこと、あるいは要求されたときに「不当だから従わないと発言して自己になんら不利益のないこと(労基法による保障など、すなわち『法の支配』)」などです。つまり、「権利のための闘争」です。
    次項有
  • 2008/09/17 06:46
    照井雅翔さま

    お便りをありがとうございます。
    「あるべき姿」の捉え方を教えていただきありがとうございました。
    私も、貴方の世界観に同感です。
    ところで、あなたは「今ある姿」をどのように捉えておいでですか。
    また、「今ある姿」を「あるべき姿」に導く具体的な方策をおもちですか。
    現実対応の方策がリーズナブルなものであれば、我々は政治家の協力を得て英米人を超えることができるでしょうね。
    次項有
  • 2008/09/16 19:25
    さん
    お名前:照井 雅翔

    「あるべき姿」の捉え方

    あるべき姿を考えるときの思考法の一つは、何が「あってはならない」かを明らかにし、極力個人の自由を尊重することである。

    英国においては伝統的に「残余の自由」という自由観がある。すなわち、「法律や良識(慣習を含む)によって禁じられていないことは何であれ為しうること」である(日本の慣習は個人にとって抑圧的過ぎるため賛成しないが)。このような自由観から、あるべき姿を描くときも、「個人の自由が尊重される公正な社会」という、英国における個人主義的社会観が生まれる。

    小沢一郎議員の掲示板でもしかしたら私の記述を読んでくださったときに、私も多くの日本人と同じ「あるべき姿の欠如」だと判断されたかもしれないが、それらの根底にあるのは「残余の自由」という感覚なのである。

    このような感覚は確かに寺嶋先生がおっしゃる意味での「Will」「あるべき姿」を語ることにはならないかもしれないが、伝統的な英米的な感覚だと「政府=必要悪」という認識なので、極力「自律した個人の連帯を尊ぶ」ということになる。その場合政治において最も大切なのは経済介入や社会保障よりも「教育投資」なのだ。例えば「大学」という機関も歴史的には「profession」による共同体という性格が強かった。

    私が小沢議員の掲示板で「共和政治における市民」「共和政治におけるエリート」という論じ方をしているのは、個人の「自律」、市民の「連帯」、エリートによる「説得・指導(Lead)」の3つが真に自由で公正な社会にとって必要であると考えているからである。
    次項有
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