日本語のような現実構文一本やりの言語を使って考えれば、現実肯定主義一辺倒の国になる。
英語のように理想を語る未来構文と、現実を語る現在構文があれば、その中間をとって徳の高い国を作ることができる。
我々は、理想と現実の間にあって、理想に近い傾向の人は革新系となり、現実に近い傾向の人は保守系となる。
現実肯定主義一辺倒の国ではご唱和が大切で、非国民は粗末に取り扱われる。
この国の議論にはたいした意味は無いが、理想と現実のある国では、人々はそれぞれに中庸の徳を語ることができるので大切である。
多数支配の原則を掲げる民主主義は、個人主義の国と没個人主義の国では、効果が異なる。
個人主義の国では、個人選出に関して多数支配を適用する。
選出した個人の考えどおりの自由を、その個人に与える。
没個人主義の国では、個人の意見に着目しないで個人を選出し、もちろん選出した個人の自由を認めない。
多数による個人干渉を当然の民主主義と考えているようだ。
国がひっくり返っても、責任者は見当たらない。
それで、この世は、無責任となる。
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Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.
沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins
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