世界観は、前世・現世・来世といったような、別々な世界を考えること。各世界の内容は、絶対比較の対象になる。
我が国古来の '世の中は、、、、' の発想では、世界観にならない。一つの世界の中の比較であって、'人の振り見て我が振り直せ' ということになる。
実況放送・現状報告の内容にならない (非現実の)事柄は、いかなる根拠に基づいて、その内容に正当性をもたせることができるか。それは、日本人にはわかりにくいことである。
英米人には、時制があって、それぞれの世界に対する考えの枠組みが出来ている。だから、過去や未来の内容は非現実であり、枠組みの中は白紙の状態である。自分自身の頭を使ってその内容を組み立てなくてはならない。日本人のように、 すべては '見ればわかる' と考えるわけにはゆかない。そこで、かれらは、'考える人' になる。他人からの干渉を排した '思想・発想の自由' が求められている。次の世界・新世界は、どのようなものになるか。各人の世界観を比べ合うことは、興味あることであり楽しいことである。夢も希望もある建設的な話し合いである。
普遍的または超越的な真理を掲げることなくして権力者をいさめることは出来ない。無哲学・能天気な日本人の脳裏には、そうした真理が存在しない。聖者が出ない。ひとびとは、個人の真理に関して '別世界の中の内容' という確信が持てない。だから、日本の権力者は民の知力までも支配出来たのである。かくして権力者が恣意により国民の知力を支配する国が出来上がった。
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