日本語には、階称 (言葉遣い) が有る。'上とみるか、下とみるか' と考えて、 日本人は、序列を作る。序列人間は、立派な日本人である。国粋主義 (超国家主義) は一等国民を作った。 序列を外れた者は '非国民' である。村八分の憂き目にあう。それが恐ろしい。自分はどうしても、他と同じにならなくてはならない。 こうした励みが日本人の国造りの基本になっている。階称を持たないメンタリティの人たちには、こうした国体は甚だ迷惑である。島国根性で意義もない。必ず改めなくてはならない。我々は国造りの哲学を持たなくてはならない。 以下、'毎日新聞 2015/4/7' より 当時建立された南洋神社は、南洋群島全体の守り神とされた。米軍の空襲で焼かれたが1997年に一部再建され、石造りのほこらが当時の面影を残す。学校は日本人向けに小学校、パラオ人には公学校が設けられ、日本語で日の丸掲揚や君が代斉唱などが毎朝行われていたという。 主婦のニナ・アントニオさん(84)は「毎日、午前8時に鐘が鳴ると教室にあった天皇陛下(昭和天皇)の写真に向かって黙とうし、『立派な日本人になります』『私たちは天皇陛下の赤子(せきし)です』などと言っていた」と流ちょうな日本語で語った。 共同通信によると、当時の日本語教育などは「未開な現地住民を文明化し、支配を受け入れるようにすること」が目的。「国民」にも日本人を「一等」とし、沖縄と朝鮮半島出身者を「二等」、現地住民を「三等」とする暗黙の了解があったという。 前駐日パラオ大使のミノル・ウエキさん(84)は「一生懸命日本語を勉強し、日本人になろうと努力した。親日的な人は大勢いるが、この島が太平洋戦争に巻き込まれたのも事実」と話した。 . |