次の6年間は釣りに行った回数が少なかったので、私の釣りノートは完全な物ではありません。ただ、私は自分のフライフィッシングを完成させるための努力は続けていました。この間、いくつかのエピソードは価値が高いと思われますので、くわしく話しましょう。ことにキャッツキルへの釣り旅行は興味深いものでした。 そのころの旅行は一仕事であり、時間がかかったし、お金もかかりました。私は車を持っていなかったので、ダッフルバッグなどの荷物は手で運ぶしかなく、旅の移動手段ははじめは鉄道で、最後は馬車でした。そんな魅惑的な旅のよさも、自動車が普及してからは味わうことが出来なくなってしまいました。私たちは個々の移動をとても楽しんだものでした。今では山の中に人が増え、自然本来の魂にそぐわないような人々によってもたらされた不遜な空気やガソリンによる空気の汚れを感じてしまいます。アウトドアを愛するすべての人々は、このような変化を感じていることでしょう。ただ、その違和感の真の原因を深く考察している人は多くはないでしょうが・・・。 川の流れは、それだけで安息をもたらし、完全なものです。そして、ウェーダーに冷たい水の圧力を感じ、自然の本能や鱒との戦いに対峙したとき、釣り人は大いなる喜びに満たされ、それ以外のものすべてを忘れさってしまうのです。 キャッツキルでの初期の釣りは雑なものだったと言わざるを得ません。魚はたくさん居て、釣り人は少なかったので、技術的に低くても魚は釣れました。当時私が釣りノートに書き残していることがらで、釣りの知識に貢献できるようなものはありません。単に釣った魚の数を記録してあるだけだったのですから。私たちはフライで釣るよりもミミズで釣った方が多かったですし、フライは行き当たりばったりで使ったものであり、釣りの技術を向上させるようなことは何もなかったのです。そのころは、前進どころか後退していたと言ってもいいでしょう。鱒があまりに簡単に釣れるところでは、釣り人の進歩は止まってしまうということの見本のようなものだったのです。 ところが、時が進み、車が増えてくると、釣り場の事情は大きく変わっていきました。そして、私たちに釣れないときでも、鱒を釣っている人をあちこちで見たものでした。そんなことがあると、私は考え込んでしまい、釣りノートには建設的かつ有意義なことが書いてあったりします。以下に、3年前のクラム・クリークでの経験以来の初めての、興味深い記録をお見せしましょう。 鱒を釣ることは次第に難しくなっていきました。サンダウンSundownに行った3回の釣りの結果はひどいものでした。釣り人はたくさん居ましたが、ある一人のフライフィッシャーマンを除いて誰にも鱒は釣れず、その一人の釣り人だけが平均以上の釣果をあげていました。鱒を釣るのに彼が苦労しているようすはまったくなかったし、彼が特別に釣りが巧いようにも見えませんでした。つまり、私たちの釣り方や釣り具のほうに問題があったのです。その釣り人に話しかけることはためらわれたので、私は彼の釣りをよく観察しました。そして彼のリーダーは我々が使っていた3~6フィートのリーダーより長く、9フィートほどもあり、ティペットは我々の半分以下の細いものを使っていることに気がつきました。さらに、彼はフライを意識的に動かすことはせず、単にフライを流れに乗せて流しているだけでした。私はよくよく考え、ついに私たちのやり方が褒められたものじゃなかったということが分かってきたのです。 その釣り人を見た後のことでした。私は、湧き水が流入していて、鱒がたくさん居る池を見つけました。陸から水中の鱒を見ての推定ですが、大きいものは15インチくらいありました。鱒を釣ろうとしましたが、私のお粗末な釣り具では鱒をおびやかすだけで、釣れませんでした。最後には、鉤にミミズを付けて投げ込んで、そのまま放っておいたのです。2時間後、10インチの鱒が1匹釣れましたが、私は全然うれしくありませんでした。私は何年間も同じ場所に何もしないでただ立っていただけで、むしろ後退しているようにさえ感じたものです。次の週、私は適切な釣り具を準備して、本気でちゃんとした釣りをやろうと、ふたたびサンダウンに向かいました。 そして、次の週のことは、以下のように書いてあります。 私にクラム・クリークでの釣りの経験を忘れろと言われても、それはできることではありません。それは、私たちがキャッツキルで安易な釣りをやってきた報いだったのです。私はせっかくすぐれた教えを受けたのに、まるで初心者のような釣りをやっていたのですから。そのことを、私はその湧き水の池の縁に立って、つくづくと思い返していました。そこは完全な止水であり、水はクリスタル・クリアーで、たくさんの鱒が居ました。立ったまま池の縁まで行こうものなら、たちまち鱒はおびえてしまいます。そのことは、私が最初にその池の縁に立ったときに確認しています。そこで、私は池の縁に座りこみ、まるまる1時間、まったく動かないでいて、その後に釣りを始めました。 私はまたしても1投めにヘマをやり、鱒をさらにおびえさせました。鱒を2度までもおびえさせてしまったので、今度は1時間以上、待ちました。クラム・クリークでのことを思い起こし、私はフライとリーダーをしっかりと湿らせ、キャストしました。キャストは鱒の群れの真上ではなく、鱒の群れの端に落とし、同じように記憶をたどりながら、フライがじゅうぶんに沈むまで待ち、それからフライのリトリーブを始めました。かなりフライが動いた時のことです。いくつかの黒い影がフライを追いかけるのが見え、そして水面の反射で水中が見えなくなりました。次の瞬間、グイと引かれる感じがあり、1ポンド半はありそうないい型の魚が釣れたのでした。私は大喜びで、大満足でした。すぐに釣りをやめ、その魚を仲間に見せるために、私は大急ぎでキャンプ場に戻ったものでした。 その池ではたくさんの有益な事実を学びました。鱒に近づくときには、太陽を背に受けて近づけば鱒をおびやかすことが少ない、ということを発見したのは、その池でのことだったのです。なぜそうなのかということは、当時分かっていませんでした。ですが、後に、太陽光は鱒を盲目にするので、鱒には空を背景にしている釣り人のシルエットが見えるだけで人であることを認識できない、ということが分かったのです。このことは多面的な切り口を含んでいて、重要なことであり、別の章で徹底的に取り上げることにしましょう。 湧き水の池が教えてくれたもっとも重要なことは、長いリーダーやフライの操作に加えて完璧なキャスティングが重要であるということでした。このようなところでコンスタントに鱒を釣る方法がわかった後には、流れのある所、すなわち川での釣り方も改善していきました。以前には川の水が濁っているときは餌釣りをしていたような釣り人が、今や、釣るのが難しいから通り過ぎるだけだった止水でも釣ることが出来るようになったのでした。私は釣り名人というわけではありません。止水では1,2匹の魚が釣れれば私は満足なのです。そして、今回は正しい方向に一歩を踏み出すことができました。建設的に考えることを続け、数年の後に、やっと前進することができたのでした。 つづく |