水面がフラットでゆるやかな流れでの釣りは、長い間、私にとってやっかいなものでした。フライを素早くあるいはツーッと動かすと釣れることがありますが、確実に釣れるというわけではありません。ことに、川の真横から釣っていて、いちばん効果的な釣り方だと信じて下流側をフライラインをたるませて釣っているときなど、いつも合わせが遅れてしまうのです。そして、例のごとく私は考え続け、それを解決するとても簡単な方法を思いついたのです。それは、リーダーの上のところで、フライラインの近くに、コーチマンまたはホワイト・ミラーを取り付けてみたのです。そうしたところ、フライが下流側に流れたときに、フライの位置が分かりやすくなったのでした。そのやり方で釣っていたとき、その明るい色のインジケーター・フライは流れていくうちに妙な動きをすることがありました。はじめ、その動きは流れや波によって引き起こされたんだろうと思っていました。ところが、その妙な動きがあったとき、同時にグイと引かれる感触を感じることがあり、その動きはリーダー尖端のフライを魚がくわえたことを意味していることに気がついたのです。 それからというもの、インジケーター・フライがごくわずかでも動いたときには合わせをしてみたら、魚がよく釣れるようになったのです。これは、私にとって大きな進歩でした。この成功に気をよくした私は、さらに釣りの技術を深めようと思い、フライやティペットやリーダーの流れ方にほんの少しでも異常を感じたら、いかにそれがわずかなものであっても、ただちに合わせをするということに全神経を集中するようになっていきました。水中でギラリと光ったり、影が動いたりしたら、魚がフライをくわえたと考えて合わせました。そして、目にははっきりと見えていなくてもアタリが分かるようになっていきました。一方、私は感じ間違いをおかすようにもなり、鳥が頭の上を飛んだり、木の葉や小枝が水中で回転したり、向きを変えたりしても、合わせをするようになってしまったのです。その結果ですが、釣果は上がったのでした。間違いないヒットのときだけではなく、疑わしいときにも合わせをしたほうがいいのです。このやり方を始めてから何十年もたった今でさえも、予想と違って鱒が釣れたりすると、鱒よりも私のほうが驚いて、顔がほころんでしまいます。 それは繊細な釣りであり、ほとんど直感に頼って釣りをしているような感覚でした。私は無意識に合わせをするようになり、水中で起きていることが分かるようになっていきました。それはウェットフライ・フィッシングで習得すべき重要な項目のひとつであり、わずかな動きを察知したり、激しい流れの中で魚や深みを見つけ出すトレーニングにもなっていたのです。 同時に、ウェットフライ・フィッシングで魚を釣るには、釣り人は正しい精神状態を保っておく必要があるということが分かってきたのです。なぜなら、私の精神状態が不安定なときには魚は釣れないのです。この事実が明らかになってきたころ、私はドライフライ・フィッシングをやってみたのです。すると、水中のウェットフライを操作するより水面に浮いているフライを操作するほうが操作しやすい事、そしてドライフライ・フィッシングでの釣りではイライラしていても釣果に大きな差は出ないこと、などが分かってきたのでした。その理由はすぐにわかりました。ドライフライは常によく見えています。だから何が起きているかがすぐに分かるので、次にやるべき事が分かりやすいのです。ウェットフライのときのように、全神経を集中させ続ける必要性は、ドライフライ・フィッシングにはありません。 ですが、もしあなたが初心者だとしたら、以下のような警告をしておきたいのです。それは、”ドライフライ・フィッシングというものは知らぬ間に忍び寄ってくるものだ”ということです。それはあなたに近づいてきて、あなたが積極的に拒否しない限りは、いつのまにかドライフライ・フィッシングばかりをやるようになってしまうのです。ウェットフライ・フィッシングの極致をきわめたいならば、ウェットフライを使い続けなければいけません。釣りを休んだりすると、ウェットフライでの微妙なアタリの感覚は数週間で忘れてしまい、それを取り戻すにはもっと長い時間がかかってしまうことが多いのです。 何回も苦境に立ってはじめて魚の釣り方がわかってくるものだ、と私は信じています。それは、本を読んで勉強して覚えたことはすぐに忘れてしまうのに対して、自分自身で観察したり失敗をして覚えたことは記憶に残るということと同じでしょう。本で読んだ事については、私の場合、個々の内容をよくよく吟味検討して納得ができたら、はじめて知識として受け入れるようにしています。検討の後であれば、自分を著者の位置に置くことができますし、著者の経験を理解し、多くのことを学ぶことができます。本で読んだことがらを身につけるには、補足しながらも実際に自分でやってみることをお勧めします。 釣りを始めて何十年もたち、私にはたくさんの思い出があります。もし、あなたが思い出を保存しておきたいなら、日記をつけることをお勧めします。もう一度味わってみたいようなすばらしい体験をちゃんと思い出したいときには、その日記は必ずやお手伝いをしてくれるでしょう。初めて鱒を釣ったときの感激は2度と味わうことはできません。ベテランであるあなたには何かしらの飽きがきていて、最初のときの鋭い感覚を失ってしまっているからです。それは経験ある釣り人へのペナルティーのようなものかもしれませんが、あなたの釣りへの愛が少なくなっているわけではありません。むしろ、逆なのです。年とともに、釣りへの愛は高まっていることでしょう。とは言っても、大きくて年老いた鱒の下にネットを差し入れるとき、あなたの手が震えることはないでしょうし、心臓がバクバクすることもないでしょう。それは練達の釣り人にとって、単に別の魚であるに過ぎないのですから。 私も初めて大鱒を釣ったときの感動をもう一度味わいたいものだと思っているんですが・・・。あの感覚は特別の感覚であって、似たような感覚を思いつきません。その代わりに、経験ある釣り人には、複雑にもつれた最悪の釣りなどという、語り尽くせぬ古いエピソードがあったりするのです。 もしこの本が、あなたの観察力や釣りの知識を刺激したり励ましたりすることができたならば、この本の目的は達成されたということになるでしょう。 ----------------***------------ 今回で第Ⅰ章が終わりです。これで「トラウト」の紹介は一休みにさせてもらい、今後は面白そうな話があれば、適宜、紹介しましょう。 |