2023年10月11日(水) 

 

 

> イェール大助教授の成田悠輔氏の弟で、起業家の成田修造氏がSNSで、「中学受験、大学受験に浸かった人生を歩むと、偏差値レースのみが主たる価値観になり、就活でも就活偏差値の競争を抜け出せなくなる」とつづり、反響を集めている。   

> 修造氏は、名門の中高一貫校から慶大経済学部に進学、卒業。   

>IT企業のCOOを務めたのちも起業家として活躍している。   

> 6日にX(旧ツイッター)に長文を投稿。   

>「中学受験、大学受験に浸かった人生を歩むと、偏差値レースのみが主たる価値観になり、就活でも就活偏差値の競争を抜け出せなくなる。  

 

そうですね。序列人間の作る序列社会での競争ですね。    

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

>周囲の人が、その価値観を持った人達だから、超大半の人は、抜け出すのが怖くなる。   

 

価値観の違った人は非国民・外人となる。    

 

>人間の本能として無理もない。

 

人間の本能というよりも日本人の天性でしょうね。    

 

> こうなると、就活時、就職後も、同質化した金太郎飴的レースから抜け出せなくなり、その延長線が読めるようになる。   

 

金太郎飴はみな同じ顔をしている。没個性による同次元序列の争いですね。   

 

>そして家族を持つことで、さらにそこから抜け出せなくなる」   

> さらに「それ自体を積極的に選んでいるならいいですし、否定するつもりはないですが、『保険』をかけたつもりが、保険の人生”しか”歩めなくなるという、ある意味での恐怖がそこに待ってるなって思うんですよね。   

 

そうですね。序列人間は行く道は行き先を定められた保険人生ですね。意思の無い日本人には歩みやすい道ですね。       

 

>だから、偏差値とかではない、自我の軸を持つことに集中した方がいいんだと思うんですよね。」と記した。   

 

それができれば苦労はありませんね。外国で暮せば偏差値でない道が分かりますね。    

 

> 自身の経験をふまえ、「実際、周りで、『面白いなー、楽しそうだなー』っていう人生やってる人たちは、最近の高学歴IT起業家を除いて、ほとんどが、その受験戦争に巻き込まれずに育ってます。   

 

受験戦争が不興の癌ですね。   

 

>これは、大人になってみてすごく実感する、世の中の面白い真実。   

>これは子供にしっかり伝えようと思う」とまとめた。   

> 多数のリポストが寄せられ、「偏差値レースで保守性の構築されてしまうところにあるのだなと思いました。   

 

偏差値レースは日本人の価値観温存のためのレースですね。    

 

>優秀であればあるほど保守環境が構築される悪循環」と賛同する声から「これを鵜呑みにすると『保険』の人生すら歩めなくなる可能性ある」「それができる優秀な人がどれだけいるかって話な気がしますね」と疑問視する声が寄せられた。   

 

そうですね。序列メンタリティ (考え方) から外れるのは恐ろしいことです。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

 

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閲覧数80 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/10/11 13:45
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